関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!
新年あけましておめでとうございます。
新春特別企画 シュッとした噺二本立て!
第七十五回 安納サオリさんは コチラ !
第七十六回は、
人と防災未来センター センター長 河田惠昭さん にお話をうかがいました。南海トラフ巨大地震に対する防災について、教えていただいたインタビューです。
被災すると、平均余命…後期高齢者が生きていられる年数が短くなる、ということがわかってきた
──過去の災害を目にしてきて、「実際に自分が避難所へ避難することになったら、どうすればいいんだろう」と考えることが増えました。行政が準備しているマニュアルもありますが、簡単なところでいうと、どういった心構えで日々過ごしているといいのでしょうか。
河田(以下、K): 今まで、避難所の環境改善や医療の整備、福祉の充実ができれば「災害関連死は減る」と言われてきたのはご存知でしょうか。
──災害関連死…災害による建物の倒壊等の直接的なものではなく、被災時の負傷の悪化や避難生活での負担から招かれる死亡例のことですね…。だからこそ避難所の環境改善が重視されてきたと思っています。
K: それが、最近の研究では、実は災害関連死は避難所の環境だけに関係しているのではない、ということがわかってきたんです。
──ええっ。
K: 能登半島地震では災害関連死が2024年12月現在で247人。2016年の熊本地震でも218人。能登半島地震での震度6弱以上の被災地人口が約17万人に対して、熊本地震での被災地人口は約147万人。あまりに災害関連死が多すぎますよね。能登半島では、特に後期高齢者の方が亡くなっている。そこから、被災すると、平均余命…後期高齢者が生きていられる年数が短くなる、ということが分かってきたんです。
──被災すると余命が短くなる…?
K: 後期高齢者が被災後に多く亡くなられるのは、医療や福祉、環境の問題ではなく、被災した時点で精神的・肉体的に傷ついていることが大きな要因だったんです。
──被災で命を落とさなくとも、被災で寿命を縮めているんですね。
K: アメリカのカリフォルニア大学がハリケーンで被害を受けた地域を調査した結果では、災害関連死は15年続くと科学的に証明されました。そういうこともあって、南海トラフ巨大地震の被害想定を3月末に予定していましたが、災害関連死については「何人」という想定ができません。下手をすると、毎年1万人以上亡くなります。
──毎年1万人以上も…!?
K: なので、災害関連死を減らそうと思うなら、被災する状況をもっと軽くしなければいけないんです。「住宅が全壊・倒壊したけど死ななくて良かった」ではなく、「住宅が全壊・倒壊する」という事態を避けなければいけない。避難所の環境をより良くすることは、災害関連死を大きく減らすことには必ずしもならないんです。
──避難所が過ごしやすい場所になれば、被災後に亡くなる方がぐんと減る、というわけではなかったんですね…。
K: 今までの「避難所での処遇などを良くすれば災害関連死は減る」というのは思い込みだった、というのが、最近の研究で分かってきたことなんですよね。それなら、避難所にできるだけ短く滞在して、元の生活に戻ることを被災後の目標にしたほうが良い。避難所を良くすることにお金と時間を使うよりも、復旧・復興を最優先にした方が、傷つく人がもっと減りますから。復旧・復興が長引くほど、傷つく人が増えるんですよ。
──被災した当事者になると、受け入れるのが少し難しい事実のようにも感じます。
K: 日本では特に難しい発想ですね。フィリピンでは避難食をチューブ型の宇宙食にしていて、1万食をちょっとしたスペースに保存できているんですけど、日本では「温かい食事を」と求める声が多い。でも、今とても心配している首都直下地震や、南海トラフ巨大地震が起こったら、大変ですよ。
「逃げなくても大丈夫」ではなく、大津波警報が出たら避難してほしい
──能登半島地震での被災地人口は17万人、南海トラフ巨大地震は比べ物にならない人数が予想されていましたね。
K: 南海トラフ巨大地震での被災地人口の想定は6100万人。放っておくと国が潰れるかもしれない、とんでもなく大きな地震です。今までの避難所でできていたことを、同じようにはできなくなるでしょう。命に関わることはもちろん軽視できませんが、文化的な暮らしを保つのは少し我慢する、というのが基本にならないと。
──地震が起きる今だからこそできるのは、被災した時に大きな被害が出ないように対策をとることと、自分たちのことは自力で何とかする意識を持っておくことなんですね。
K: 「今のままでいたら、地震が起きた時に大変なことになるぞ」と理解しておくことが大事かなと思います。その理解がないと、「対策をしておこう」という思いにはなりませんよね。
──そうですね…。
K: 例えば、洪水ハザードマップで安全な場所へ引っ越すだけでも変わるんですよ。床下浸水と床上浸水なら、床上浸水のほうが被害は7倍大きくなる。被災の時の被害が少なくなれば、余命にかかるインパクトはものすごく小さくなるんですから。
──梅田を歩く時はなるべく地下道を歩かない、一階が駐車場になっているマンションは避ける等、いろいろありますよね。
K: あとは、想定の計算結果が絶対だとは思わないでほしいですね。研究者は計算結果が絶対ではないことを知っていますけど、一般の市民の方は違う。安心情報を見ていれば自分が苦しまなくていいから、どうしても都合のいい解釈もしてしまいます。僕は大阪府の防災委員長なので、南海トラフ巨大地震が起きたら津波は大阪府のどこまでくるか、計算した報告書を出していますが、その結果だけを見ると、大阪市中央区は浸水しないことになっています。きっと、多くの人は「津波が来ないって書いてあるから逃げなくても大丈夫だ」と思いますよね。でも、それは6時間続く大津波の第一波が来た時の計算なんです。6時間も繰り返し大津波が来たら堤防とかが壊れるかもしれないし、計算そのものには道路の幅の違いや、地下室の有無も入っていません。全部計算に入れていたら、一生かかってもプログラムが終わらないので。だから、条件が変われば浸水します。「逃げなくても大丈夫」ではなく、大津波警報が出たら避難してほしいんです。
──相手は自然で、規模も大きなものだから、絶対の計算なんてできませんよね…。
K: 僕はそれが非常に心配なんです。来年の4月には関西万博があるでしょう。運営側は夢洲から3日間は出られない想定で備蓄食料や水を用意しているそうなんですが、かなり難しいと思います。なぜかというと、平均毎日16万人があの夢洲に来ている中、巨大地震が起きると震度6弱以上の揺れが1分以上続くんですよ。すべて仮設構造物のあそこで。どうなるか。シンボルにしている大屋根のリングも地震が起きれば蛇みたいにうねって震動しますよ。それに地上が震度6弱なら、高さ10mでは震度7になりますから、高さが1m20cmくらいの手すりしかないあの場所では簡単に落ちてしまいます。
──地震が来る想定で建設されていませんもんね。
K: パビリオンだって、体育館みたいなところにたくさん人が入っている。掴まる物も何もないところで地震が来たら、真っ暗になって人同士がぶつかる。そこに大阪府の無料招待された子どもたちが先生に引率されてやってきていたら? 地震を経験したことのない、外国人の方々がたくさんいたら?
──想像もできません…。
K: 大阪府の担当者には伝えてあるんですけどね。「起こらないっていう前提で進めてはいけないよ」って。実は、愛知万博は防災対策が間に合わなかったんですよ。でも何も起きなかったから「良かった、良かった」で終わってしまいました。石川県でも、能登半島地震が起こる前に僕は「水道管の耐震化をやらなきゃいけないよ」と言っていたんですけどね…。
一番大切な「防災」が軽視されていくように感じる
──河田さんは以前から「意思決定者は国民(世論)であり、防災研究者はマスメディアを通して世論に働きかける努力が必要とされる」とおっしゃっていますよね。
K: そうですね。だから僕はマスメディアに向けた情報発信をよくしています。ですが、若いメディアの人っていうのは自分の関心だけで動く傾向にあるので、災害があってもいろんな被害を平等に報道してくれないんですよ。インパクトのあるものや、避難所が上手くいっていないっていうネガティブな情報だけを世に広げていく。なので、今年の12月と来年2月に若いメディアの人に向けて、阪神淡路大震災の教訓とはどういうものであるか、っていうレクチャーをさせていただくんです。
──そういうこともやっておられるんですね。
K: それをやらないと、メディアが取り上げてくれないんですよ。担当する記者が若いと、どうしても自分の人生経験の中でしか評価ができないから、災害で起きたことに対する評価が軽くなってしまうように感じています。阪神淡路大震災ももう30年経ちますが、経験した人が地元でも3割を切っているんですよね。市役所だって、もう本当にいないんですよ。当時30歳の人なら定年を迎えていますからね。
──そうなんですね…。そういった講演で、河田さんが必ず言い続けていることはあるんでしょうか。
K: 防災というのは、失敗すると非常に大切な命がなくなる、ということですね。やり直しがききません。他のことなら、貧乏になったりとか、耐えられることばかりだけど、防災は命を失ってしまうんです。災害に遭遇した途端に、命を失う危険性がある。それを日常的に防ぐ努力をしておかないと、いきなりはできないことじゃないですか。
──災害は一瞬の出来事ですもんね。
K: 僕はしょっちゅう東京に行くんですけど、新大阪で必ず駅弁とペットボトルを買って乗るんですよ。最近、新幹線が止まったら時間が長いじゃないですか。それから、東京に着いたらコインロッカーに荷物は預けないようにもしています。今はほとんどが電子錠でしょう。停電したら取り出せませんから。それに、東京ではリュックサックの中にいっぱい物を入れています。「最低限の準備を怠ってはいけない」というのが教訓ですよ。
──習慣として準備できていることで、命拾いするかもしれないんですね。
K: 失敗したら命を失うことって、他にはないじゃないですか。これを元気な人に伝えることがなかなか難しいんですよ。自分で判断できる能力を持ってもらわないといけないから。
──自分で判断できる能力、ですか。
K: 誰かの言うとおりに行動して命を落としたら、何のこっちゃ分からないじゃないですか。だから、防災の基本は自助なんです。 自分で判断して何をどう準備するか。そこで初めて、自分でできることと、政府に頼らないとできないことに気づける。全部が全部、「行政がやってくれ!」だとどうしても間に合わないんです。
──自分にできることなら、準備しているほうが早いですもんね。
K: 例えば、ペットを飼う人が避難先でどう行動するかも、本当はペットを飼う人自身が考えなきゃいけないんですよね。でも、今は行政に要求できることとできないことがあるっていう判断が非常にあやふやになっていると思います。「言ったもん勝ち」のようになってしまって。文句を言って、相手を変えさせることを続けていたら、力のある意見に流されていって、一番大切な「防災」が軽視されていくように感じます。
──まして、巨大な地震が起きた時には今までの規模とは全く違う状況になりますよね。
K: 首都直下地震や南海トラフ巨大地震なんて、本当にたくさんの被災者が出ます。その人たちのニーズを満たせるような動きはきっとできません。改善を求めることを頭から否定するつもりはないんですけど、全体の状況を見て、順序だてて評価できるような対応を、防災においてそれぞれができるといいですよね。意識が高い人も低い人も、被災した時の制限がかかる環境をみんなで「そうだね」って認められる社会にしないと、トゲばっかりが出てきちゃって、ちっとも安心できないじゃないですか。
人生って「よもやこんなことは起こらないだろう」と思っていることが起きる
──きっと今までにないくらい、復旧・復興には時間がかかるでしょうから、それをみんなで受け入れて早く乗り越えようとする姿勢が必要になってくるんですね…。
K: そのためにも、僕はずっと「防災省が必要だ」っていろんなところで言ってきたんです。今から8年くらい前に、関西広域連合で委員会を作ってもらって、「 我が国の防災・減災体制のあり方に係る検討報告書 ~防災省(庁)創設の提案~ 」っていう報告書を1年間かけて作ったこともあります。今、内閣府防災ではプロが80人しかいません。それも、全員出向の。国土交通省とか経済産業省から来ている人たちだから、また元に戻ってしまう。一生を内閣府防災で終える人がいない。そんな組織が災害対応なんかできないですよね。でも、研究者の間では防災省が政府の大きな課題になる時が来るなんて信じていませんでした。それが、今になって防災省が実現する可能性が出てきたんです。
──政権が代わったから…。
K: 人生って「よもやこんなことは起こらないだろう」と思っていることが起きるんですよ。災害も同じなんですけどね。もっと言うと、何でも希望を持ってやらなきゃいけませんね。本当はもう、今年で研究生活が50年だから来年の3月には退職しようと思っていたんです。でも、辞めるわけにはいかなくなりました。今年は瑞宝中綬章をもらって、自然災害学会の功績賞ももらって、 そして妻とは金婚式で、それに「無理だろう」と思っていた防災省の可能性まで見えてきた。それなら、一番理解している者がやらざるを得ませんよ。
──河田さんなら、と賛同される方も多いと思います。
K: ただ、これだけ長いこと仕事をやってきて、自分の思い通りになったことなんて一度もありませんよ。この「人と防災未来センター」を発足する22年前も、僕が何かをしたんじゃありません。関係者みんなが知恵を出し合って多様な目標を掲げたからこそ、うまくいったんだと思っています。8年前に、「ひとぼう(人と防災未来センター)」が中心になってHAT神戸の街づくりをやっていきましょう、と動き出した時もそうです。
──HAT神戸の街づくり、ですか。
K: HAT神戸には戸建て住宅がありません。全部集合住宅なんです。もともと震災復興住宅として作ったマンションだから。兵庫県知事だった貝原さんには、「河田さん、君の方が僕より長生きするから、ここの復興を頼む」って言われていたんです。交通事故で亡くなるずっと前から。「君、HAT神戸、復興のシンボルだから頼むよ」って。
──HAT神戸の住民が楽しく暮らせるようになることが、復興も意味しているんですね…。
K: この施設がいくら世界に誇れるものであったって、住民に根付いていないんじゃ何の値打ちもありません。だから、この施設があって良かったと思ってもらえるように、成長して街を出た時に「あそこに住んでいて楽しかったな」って思えるように、いい思い出を作ってほしい。そんな思いで、ひとぼうのメンバーが中心になって、お祭りを作ったり、夏休みには若手研究者が子どもたちの宿題を見たりしてきました。今ではHAT神戸に人口が増えてきて、10月のお祭りには600人参加してくれるようになって、「この施設があって良かった」という印象がだいぶ根付いているんじゃないでしょうか。
──皆さんの努力がしっかり実を結んでいるんですね。
K: 僕はいつも教え子に「勇気をもって挑戦してくれ。勇気がなかったらいい仕事はできないぞ」って言っているんです。成功が保証されているような仕事なんてあるわけないじゃないですか。もちろん、チャレンジして成功に持っていくには、努力がいる。それを知らないでいたら、何をやってもダメですよ。人生は一回しかないんだから、その時全力を尽くさないと後悔する。勇気を持って挑戦することで初めて自分が前に進める。自分で鼓舞しないと。僕は誰かに促されてやってきたわけじゃなくて、すべて自分で考えて、こうあるべきだと思って仕事をしてきました。それに結果がついてきたのは幸いだったけれど、結果がついてこなくても、そんなことで文句を言ってはいけないんですよね。若い人にはぜひ、徹頭徹尾、生き方は自分で決めるものであって、環境じゃないってことを知ってもらえたら、いいですよね。
河田惠昭
【 人と防災未来センターHP 】
大阪府出身。人と防災未来センターのセンター長であり、京都大学名誉教授、関西大学社会安全学部特別任命教授を務める。日本自然災害学会学術賞・功績賞や国連SASAKAWA防災賞(防災分野のノーベル賞に相当、本邦初)を受賞したほか、瑞宝中綬章も受章。長きにわたり、国内外の防災の分野で活躍している。著書に『これからの防災・減災がわかる本』(岩波書店刊)など。
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