

関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!
第七十九回は、
大阪のラジオ局「FM802」で朝の番組『on-air with TACTY IN THE MORNING』を担当する、 ラジオDJの大抜卓人さん にお話をうかがいました。関西人として大阪のラジオDJを務めるおもしろさを語っていただいたインタビューです。
『on-air with TACTY IN THE MORNING』って? ▶ HP ▶ X
FM802で毎週月曜から木曜、午前6時から11時に放送されているラジオ番組。初放送は2013年4月1日。2024年、radikoで最も聴かれた在阪エリアのラジオ番組としてランキング1位を獲得した。

時間ごとに人が入れ替わっていろんな人がやってくる、ターミナルみたいな番組
──『on-air with TACTY IN THE MORNING』(以下、『TACTY』)を始める前は別の番組『ROCK KIDS 802』のDJをされていましたよね。今と若い頃とで、何が変わったと思いますか?
大抜卓人(以下、O): まず、声が変わりましたね。もっとアッパーな、振り切った感じのしゃべり方をしていました。『ROCK KIDS 802』の時なんかまさにそうで。どちらかと言うと、もっとどぎついことや、マニアックな音楽の話をしていたと思います。超深夜の番組をやっていた頃は特に。
──そうですよね。
O: でもDJっておもしろくて、担当する番組がその人を作るんですよ。朝番組をやりだしたら朝の人になるし、夜番組を始めると尖がってくるんですけど、担当番組の時間をシャッフルするとまた人柄が変わるんですよね。で、僕もそうなりました。トーンをちょっと落とした、朝の人のしゃべり方に。目線もですね。きっと、番組とそのリスナーが僕のキャラクターを作ってくれて、自然とそうなっているんだと思います。
──今や早起きが当たり前ですよね。
O: 毎朝3時5分に起きます。一回は、3時に起きるんですよ。そのあと5分だけ寝るんです。その5分を寝るだけで「ああ、よう寝れた」って感じがして。感じがするだけですけど(笑)
──その5分が大事ですね(笑) その後、6時から5時間の番組が始まるわけですが、リスナーはどういう方が多いんでしょうか?
O: 5時間あるので、時間帯によって全然違うんです。6時は朝の準備をされている方々。一番幅が広くて、朝練に行く学生さんから、お弁当を作っているお父さんお母さん、電車通勤されている方。7時半からのメインは会社に向かう方になる。8時以降は、朝の準備を終えて家でひと段落ついた人たち。9時以降は「今から仕事!」の人たち、って変わっていくんですよね。僕自身も、少しだけ9時始業の会社員をしていたことがあって、その時は8時半から掃除をしていたので「仕事の準備するんは8時40分くらいかな」とか、そんなイメージをしているんですけど。
──目まぐるしいですね!
O: そうですよね。僕の番組は「つけたらなんかやってた」「ずっとついていた」って人が多いので、「今の時間帯ならこういう人たちが聴いてくれているのかな?」と想像しながら届け方を変えているんですよ。時間ごとにいろんな人が入れ代わり立ち代わりでやってくるので、ターミナルみたいだなと思っています。
──そうやって、「今」聴いている自分に合わせて届けてくれているから、印象に残る番組なのかもしれません。
O: 以前、スピッツのボーカルの草野さんにインタビューした時、草野さんが「歌詞全部に対して、響かなくていい」っておっしゃっていたんです。「今日この日だけに響く歌詞があるんじゃないか」っていう。だから僕もスピッツの歌詞がすごく好きで。昨日聴いた『ロビンソン』と、今日聴いた『ロビンソン』とで、歌詞が全然違って聞こえるような言葉の魅力があるんですよね。そのバランスが良いなと思って。だから、僕の番組でも、ふとした瞬間にハマればいいなって思いながら、言葉を出すようにしているんです。朝はバタバタして最後までしっかり聴けませんからね。ふいに耳に入った言葉や曲で「あっ今日はなんか前向きになれそう」みたいに、感じてもらえたらなって。

802は曲をフルでかける、「フルがけ」を徹底している
──大抜さんは関西のご出身ですよね。大阪のラジオ局でDJを務めるにあたって、大事にしていることはありますか?
O: 関西弁とかの親しみはやっぱり大事にしています。ただ、僕がDJを始めた初期の頃は「ちょっとあいつ、いちびっとんな」と思われていたかもしれません。 関東のラジオみたいにクールにやりたいって思っていた時もあったんです。でも、そうじゃないなって。802でやってきた先輩たち…ヒロ寺平さんやマーキーさんは標準語の中にスパイスとして関西弁を入れるんですよね。だから僕も、曲紹介は標準語、だけど感想を入れる時は少し関西弁、みたいな分け方をしていると思います。
──ラジオDJをされる前は、アメリカでクラブDJをされていましたが、今のスタイルに影響している部分はありますか?
O: ジングルとか、曲を繋ぐポイントに物凄くこだわっているところですね。もともと、『TACTY』ではミキサーの前に一人座って、スイッチングも全部やっていたんです。でも、今は対応しなくてはいけないことが増えたので、できなくなっちゃって。いまだにミックスがすごく気になるんですよね。ジングルのタイミングが遅いとか。ディレクターにはちょっとそこ、厳しくて(笑)
──少しの差で耳に残る印象が変わりますよね。
O: そうなんですよ! 憧れているアメリカのラジオ局があるんですけど、そこのジングルの入れ方がめちゃくちゃカッコいいんです。ラジオの音楽がSpotifyやiTunesで聴く音楽と何が違うかって、DJの語りやジングルがあることじゃないですか。実はDJの語りが入ることで、いつもの曲が普段よりちょっと良く聞こえたりするんですよね。「ブーストする」って言われるんですけど。そして、ジングルのタイミングがめちゃくちゃカッコいいと、それによってもいつもの曲がさらに良く聞こえてくる。DJのしゃべりと、カッコいいジングルのタイミング、っていうのはアメリカのラジオ局が昔からやっているフォーマットなんですけど、ずっとあれに憧れているんです。で、実は802って開局の時からそれをやっているんですよね。
──ええっ!
O: 開局時に「ファンキーなラジオ局でアメリカっぽいものを作ろう」っていうコンセプトを掲げて、みんなでいろんなテストをして、ジングルも曲の合間の繋ぎも、しっかりこだわる今の802の形を作ったそうです。それまで他のFM局はそういうのをやっていなくて。だから、開局当時は「アメリカのラジオを聴いてるみたいやと思った」ってみんなが言っていたんですよね。
──そうだったんですね。
O: 今でもしょっちゅうアメリカのラジオを聴いて、僕もやり方を常にアップデートしているんですよ。あと、802は曲をフルでかける、「フルがけ」を徹底しているんです。例えば、CMまでの残りの時間が7分とするじゃないですか。そこで4分の曲を挟みたい。だったらトークは3分。これを守ってくれってはじめに言われるんです。もし6分30秒の曲ならトークは30秒だけ。常に曲が主役なんです。
──子どもの頃、車内のラジオは必ずFM802だったので、曲をフルで聴けるのは802ならではって気づいていませんでした!
O: おお! ありがとうございます! 僕も初めて他局で仕事をさせていただいた時、「フルがけせずに好きなだけしゃべっていいよ」って言われてショックだったんですよね。どっちが正解とかはなくて、それぞれの美学があるものなんですけど、802としては曲をメインにするのが美学と言うか、哲学として継承されてきたものだから。だからこそ、次にかける曲のためにどう繋げるか、物凄く考えています。例えば受験シーズンだったら、受験生の悩みに答えた後に「じゃあ君にすごく良いことがあるように、おまじないとしてaikoの『ストロー』をかけるよ」っていう感じで、流れを大切にしたいんです。

DJも「一人のジャーナリストであれ」ってずっと言われている
──洋楽に精通されていると思うんですが、番組を持たれる前は日本のJ-POPも聴いていましたか?
O: 全く知らなくて、一から勉強しました。日本の音楽っていうものを。今でこそようやく語れるようになったというか。Mr.Childrenですら後追いなんですよ。今、物凄く好きなんですけど。駆け出しの頃、「自分のことを歌ってくれているような歌だな」って思っていたんです。それで、ボーカルの桜井さんに取材をさせていただいた時に「桜井さんって誰かの気持ちを汲んで歌詞にされるのがすごく上手ですよね」って言ったんですよ(笑) おかしな質問ですよね。「よくそんな質問するな」ってディレクターは思ってたと思うんですけど、駆け出しのころは本当に全然わかってないから(笑) 当時は知らなかったからできた、新鮮で良いインタビューにはなったんですけど…。それくらい一からって言うか、ゼロからの勉強でしたね。今はJ-POPにどっぷりになっちゃいましたけど。
──どういう勉強をされているんですか?
O: ライブに足を運ぶんです。ほぼ毎日行くんです。関西の公演に行けなかったら、東京や九州の公演に行って。で、何をするかっていうと、ライブを観るだけじゃなくてアーティストに挨拶に行くんですよ。これがすごく大事で。「最近何してるの?」「どんな感じの曲ができてるの?」ってそこで取材をするんですよ。それで後日、番組にアーティストが来た時に、「この間のあの話、あのあと進んでるの?」みたいに話すんです。これも802が大事にしていることなんですけど、DJも「一人のジャーナリストであれ」ってずっと言われているんですよ。今、アーティストがどういうモードなのか、現場に行って聞けって。だから記者さんが取材されるように、ライブのMCも全部メモしているんです。それでライブの後にまた話をして…って、ずっとその積み重ねですね。
──だから、番組に来るアーティストの方々は気心知れた感じで話されているんですね!
O: そうかもしれませんね。ちなみに洋楽の場合は、アメリカの雑誌やインタビューを全部読んでいます。それで得た情報を番組内のコーナーで紹介したりして。アメリカの大学で猛勉強して卒業したので、その経験のおかげだなと思っています。あの時は、もう思い出したくないくらい勉強しました(笑) 留学するまで、ずっと勉強をサボってきたので…。アメリカの大学って、ほとんどみんな毎日図書館で勉強しているんですよ。毎日1教科あたり180ページのリーディングがあったりするから。その缶詰状態から弾けるために土日がある、みたいな感じなので、英語の曲に「週末がようやく来た!」みたいな歌詞がやたらあるのはそういうことなんですよね(笑)
──そうやって国内外問わずいろんな経験をされてきた中で、リスナーとのやりとりで意識されていることはありますか?
O: 徹底的に向き合う。一枚のメッセージに対して「そうだね、頑張ってね」っていう送り出しはしないようにしているんです。必ず、自分の経験値からしゃべるって決めています。「僕がこういうことを経験した時に、こういうことを人から言われたんだけど、それがもしかしたら君にも響くかもしれない」みたいな。長すぎるくらいみたいなんですけど、ちゃんと答えたいんですよね。無いものから適当に話すんじゃなくて、自分のフィルターを通してから話したい。
──向き合ってもらえるのはリスナーとしてすごく嬉しいと思います。
O: あとは「客観的な主観」を大事にしていて、「あのアーティストがこんな状況の時、こんな言葉を残していたよ」みたいな、客観的なことを僕の主観を通して伝えているんです。説得力が増すかなって。独自のやり方ですけど(笑) それと、若いリスナーからのメールで今の学校の状況を知ったり、802の若いスタッフから流行をヒアリングしたりもして、新しい世代を知ることも常にしていますね。

人が楽しそうにやっていることに影響を受けやすい
──大阪の高槻で生まれて、奈良の生駒に住んでおられたんですよね?
O: 7歳から21、22歳くらいまで、生駒に住んでいました。学校へ行くのに、田んぼのあぜ道を通って20分くらい歩くような、田舎ならではの良さがあるところでしたね。だからか、都会に対する憧れが常にあったんですよ。田舎の子ならではの向上心みたいなのが。
──カッコよくなりたい、みたいな感情でしょうか。
O: そうですね。難波に行くのでも頑張ってオシャレしていくものだと思っていたので、中高時代はファッションにも高いモチベーションで向き合っていましたね。自分の子どもたちは大阪の都心に住んでるから、全くそんなのがないんですけど(笑) でも田舎の子ならではの「負けたくない」みたいなハングリー精神を持てて良かったなって思うんですよね。
──毎朝SNSに投稿されているファッションがすごくオシャレだと思っていたんですが、そこから繋がってくるんですね。ファッション以外に、趣味はありますか?
O: うわー、いっぱいあるんですよ。プロレスも好きだし、モデルルームに行くのも好きだし、スキーもスノボも好きで。人が楽しそうにやっていることに影響を受けやすいんです。ラジオDJって食わず嫌いが良くないから、何でも乗っかる性格で良かったなと思うんですけど。最近だとタイヤに目覚めたり。でも、好きなものが増えすぎてまとまらなくなってきたんですよねえ。
──逆に、手を出していないことはありますか?
O: 山ほどありますよ! サーフィンなんかはやるやる詐欺を続けているんですよね。でも、夏は毎週末フェスをやってるじゃないですか。いやもう最近は夏じゃなくても冬も秋も、ずっとやってるじゃないですか! 休みがないんですよ!(笑)
──ありませんね (笑)
O: 海外旅行も行きたいんですけど、仕方がないから妄想旅行をしています(笑) あっでも、今年はONE OK ROCKのライブに行こうと思っているんですよ。アメリカのダラスとヒューストンであるので、どんな風に行けるかなって。日本のアーティストが海外でやっているライブを観に行くのがすごい好きなんですよね。やっぱり彼らも国内のライブ以上に興奮しているので。だから楽しみなんです。

24時間ラジオと、海外からの放送に挑戦したい
──今、一番会いたい人は誰ですか?
O: それがね、会えたんですよね、ほとんど。今まで会いたいと思った人たちに。
──す、すごい…!
O: マイケル(マイケル・ジャクソン)はもちろん会えなかったんですけど…。でも、洋楽のアーティストにもほとんど会えていますね。クイーンもボン・ジョヴィも。氷室さん世代だったので、会いたかったBOØWYの氷室さんにも会えたし…。ありがたいことにそういうチャンスをたくさんいただけて。ああでも、桑田佳祐さんはすれ違っただけなので、お会いしてお話ししてみたいです。憧れですね。ラジオの大先輩でもありますし!
──どんなお話をしたいですか?
O: 言葉の魔術師なんですよね。だから、どういう風に言葉を選ばれているのか聞きたいですし、ラジオでも、優しさが溢れる中ですごくパンチのあるコメントをされているので、ラジオとの向き合い方もお聞きしてみたいです。
──お二人のラジオ論、聞いてみたいです。
O: あっ、ラジオで言うなら、小林克也さんにもお会いしたいです! ラジオのレジェンドとして。インタビューと言うよりも、ちゃんと向き合ってお話ししてみたい。
──『ベストヒットUSA』(テレビ朝日)で司会をされた、まさにレジェンドの。
O: 小林さんのインタビューって、ゲストが一人でしゃべっているのかな、ってくらい、小林さんの影が見えないんです。『ベストヒットUSA』でジョン・ボン・ジョヴィと小林さんが二人で画面に映っていても、ジョン・ボン・ジョヴィしかいないと錯覚するくらいで。質問で我を絶対に出さずに、相手から引き出すだけなんですよ。僕はそれがすごく好きで。インタビュー中はゲストしか目に入らないのに、終わってから「インタビューの引き出し方が良かったなあ」って思わされるのが小林さんなんですよ。僕もああいう風な、曲紹介をやりたいんです。だからその極意というか、ラジオのことをお聞きしたいですね。
──実現してほしいです! では、今後FM802で挑戦したいことはありますか?
O: 一度、24時間ラジオをやりたいです。
──24時間!
O: 今まで朝5時から生放送を始めたり、9時間の特番をやったり、ずーっとしゃべっていたことがあるんですけど、一回24時間をやってみたいんです。
──どんな感じになるんでしょう!
O: そうなんですよね! 夜のリスナーさんとも、早朝のリスナーさんも、どの時間人たちにもタッチできるようなことをやってみたくって。あと、僕らの時代になってから、海外からの放送をやっていないので、それもやってみたいです。
──海外の現場の空気も一緒に感じられる番組になるんでしょうか?
O: そうですね。昔、先輩であるシャーリー富岡さんって方が年に1回、NYから放送していたことがあって。「むちゃカッコええな」と思ったんですよ。伊藤政則さんが『ROCK KIDS 802』を夕方にやっていた時は、ボン・ジョヴィのライブを現場中継したりもしていて! 当時はFMラジオが時代をキャプチャーするというか、時代を捉えて放送していたと思うんです。そういうことを、やってみたい。今の子たちが海外に目を向けるきっかけにもしたいですね。

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
O: やっぱり、802の番組の演出ですね。ジングルの当て方とか、曲のかけ方とか、継承されてきた哲学です。
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
O: DJを始めてからもう20年分くらい、アーティストから聞いたことのメモ帳があるんですよ。曲のサイドストーリーになるようなエピソードとかの。これだけは無くしたくないっていうデータで、一番大事にしているんです。
──それはとても気になるんですが…缶詰に入れたらもったいないですね…?
O: 確かにそうですね(笑) だったら…ラジオのオンエアの空気を入れたいです。生放送の空気ってあるんですよ。日常生活にはない、ラジオだけの、いろんな人がこっちを向いてくれているような独特の空気。あれがすごく良くて。僕、月曜から木曜まで朝の番組をやって、金曜と土曜はテレビで、日曜が休みなんですけど、その昼間に「あの空気ほしいわ」と思うぐらい好きなんですよ。あの5時間の中にしかない、時間が作る空気。
──ターミナルのように、入れ代わり立ち代わりでいろんな人がいるところのような時間っておっしゃっていましたね。
O: 朝6時の時報が鳴ったら、一気に変わるんですよね。みんなの日常がこっちに来るんです。誰かがDJブースのこの場にずっといるっていうよりは、いろんな人がやってきて、何かを残して帰っていく。そこに僕が一緒に向き合いながら作っている時間で。ラジオって今はradikoで聴ける時代ですけど、オーディオだと天気に合わせてアンテナ伸ばして「こっちかな?」「今日はよう届くな」ってするじゃないですか。昔から僕は「自分だけが引っ張ってきた電波や」って思いながらラジオを聴いていたんです。だから、「この電波を見つけてくれてありがとうございます!」って思いながら、来てくれる人たちにしゃべっている感覚が、あの空気の中にあるんですよね。
大抜卓人

大阪府高槻市で生まれ、小学生の頃からは奈良県生駒市に住み、現在は大阪府在住。学生時代にアメリカの大学へ留学、NYのテレビ番組制作会社のAD、日本のデザイン会社の営業マン、UNIVERSAL STUDIOS JAPANの専属MCを経て、2002年よりFM802でDJデビュー。現在はFM802 『on-air with TACTY IN THE MORNING』のDJを務めるほか、『ほっと関西』(NHK大阪)や『ゆうドキッ!』(奈良テレビ)等にも出演中。好きな漫画は『プラレス3四郎』(秋田書店)、『ファイブスター物語』(KADOKAWA刊)。
撮影:青谷建

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