関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!
第五十六回は、
今話題の 俳優・住洋樹さん ! 力士時代のお話や、住さんのこれまでのキャリアに迫りました。
「住洋樹」さんって?
1989年、兵庫県出身。元十両力士。中村部屋に入門後、2005年に初土俵を踏む。飛翔富士の四股名で2011年の9月場所(秋場所)で十両へ。2017年に引退し、現在は飲食店の経営やインバウンド業などを手掛ける。2023年5月よりNetflixにて配信されたドラマ『サンクチュアリ-聖域-』では静内役を演じ、一躍話題となる。
シンプルに入るところを間違えたなって思いましたよ
──力士になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
住さん(以下、S): 中学の担任に勧められたのがきっかけです。僕が中学3年生のときの担任であり柔道部の顧問だった先生に、毎年柔道部が参加していた相撲大会に出たあとで「お前、相撲の素質あるかもしんないから、相撲部屋行けよ」と言われて。その先生は、これまで自分の生徒を何人か相撲部屋へ送り出していたので。
──柔道をやっていらっしゃったんですね。
S: 「兵庫少年こだま会」という柔道クラブに通っていました。今活躍されている柔道金メダリストの阿部一二三さんもOBで、メダリストを何人も輩出している有名なクラブです。
──当時から体も大きかったんですか?
S: 中学3年生の時点で191cmありましたね。体重も118㎏くらいあったと思います。
──その頃から素質も体格も備わっていたんですね。先生から柔道の道ではなく相撲部屋を勧められたとき、住さんはどう思われたんですか?
S: 最初は嫌でした(笑) お尻を出すし、女の子にモテなくなってしまうと思っていましたね。相撲部屋のこともよく知らなかったので、とりあえず相撲部屋に見学に行ったんですよ。最初は「お客さん」っていう立ち位置だから「よしよし」ってしてもらえるんですけど、いざ入ったら地獄でしたね(笑)
──やりたくないなというところから、どうして入ることになったんですか?
S: 僕は賢くなかったので、勉強で進学できるイメージが湧かなかったんです。先生に連れられていった相撲部屋は先生の元教え子がいっぱいいて、その中に同郷の関取の方がいて可愛がってもらえたので、相撲の道に進むことを決めました。他の部屋からも誘われていたんですが、その先輩の存在の他に、通信制の高校に行かせてくれるという点で選びました。
──なるほど、当時は高校に通わないスタイルが一般的だったんですね。
S: そうなんです。でも、僕らの年から通信教育を始めると言っていたので「ああ、じゃあこの部屋に行こう」と決めました。親方が山梨出身の人だったので、山梨にある日本航空高等学校という学校の東京にある分校を卒業しました。
──先ほど、入ってみたら地獄だったと仰っていましたが、実際に入られたときの印象を教えてください。
S: 相撲界に入ったら、僕よりも大きい人が何人も並んでいて、シンプルに入るところを間違えたなって思いましたよ(笑) 稽古もしんどかったですし。相撲部屋に入ると、まずは新弟子検査という検査があり、これに合格すると本場所の3日目から始まる前相撲を取り、成績優秀者を決めます。そこで翌場所から「序ノ口」として番付に四股名が載ることになった新人力士は「新序出世披露」という、化粧まわしを着けてお客さんにお披露目する儀式を行うんです。だから、その時点で全員が化粧まわしを必ず着けることになるんですが、もう一度着けるためには関取になるしかないんです。だから、関取になってもう一度化粧まわしを着けたいと思いながら稽古に励んでいました。
二年で十両に戻れなかったら辞めようと思っていた
──2005年に初土俵を踏み、2017年に引退となりましたが、最後の数年間は怪我に悩まされましたね。
S: そうですね。最初は順調に番付が上がっていったんですが、最後の4~5年ぐらいは靭帯断裂などの怪我が続きましたね。それで番付が落ちてしまって「番付外」というところまで下がってしまいました。大相撲の歴史上、「十両級」という地位から「番付外」まで落ちたのは過去に4人ぐらいしかいないんですよ。
──怪我から復帰するまでの間はどんな気持ちでしたか?
S: 「絶対に元の場所に戻ってやる!」と思っていましたね。復帰するために、トレーニングをとにかく必死にやりました。でも、トレーニングしすぎて、手術した際に入れていたボルトが皮膚を突き破って出てきちゃったこともあって。それで、今度はボルトを抜く手術をしないといけないって言われたので、そこからまた1年半くらい復帰までにかかってしまったりとか、思うようにはいきませんでしたね。
──怪我を乗り越えて2015年に復帰されてからは順調に番付を戻されていましたが、なぜ引退を決意されたんでしょうか。
S: 僕は二年で「十両」という地位に戻れなかったら、辞めようと思っていたんです。それで二年間頑張ったんですけど、幕下11枚目までいったところで「ああ、もうちょうど二年や…」というタイミングが来てしまって…。これからっていうときだったんですけど、言った以上は辞めようと思い、辞めました。
──男に二言はない、という感じでカッコいいですね!
S: 「辞めるの早くない?」って言われましたけど、NHKのテレビ放送で断言してしまって言ってしまったので、辞めるしかないですよね(笑)
──怪我の後遺症などは大丈夫ですか?
S: 今はもう全然痛くないですよ。怪我が原因で辞めてしまいましたが、20代で辞めて良かったと思っています。
──それは何故でしょうか?
S: 僕は今年で34歳になるんですが、この歳で辞めたら仕事に困っていたと思います。こういうご時世ですし、雇ってくれるところもなかったと思いますから。
──力士の方だけでなく、アスリートの方のセカンドキャリアの問題って難しいですよね…。
S: そうなんですよ、セカンドキャリアめっちゃ難しいと思いますね。僕は一応高校も卒業しましたし、引退後にサラリーマンとして働く機会をいただけたので、その経験を活かして今は自分で事業をやったりしていますけど、身体を使う現場系の仕事を選ぶ人が多かったりするんですよね。僕もそうですけど、これまで身体を酷使してきた元力士の人は怪我を抱えていることも多いのでしんどいと思いますね…。
──そういえば、WWEのリングに上がっていましたが、それはサラリーマンとして働く前のことでしょうか?
S: サラリーマンとして営業をやっていたときです(笑) 僕、引退してすぐに元力士の先輩に誘われてアメリカのタレント事務所に登録していて、2017年か2018年頃にアメリカンフットボールのB級映画に出演たことがあるんですよ。それが僕の俳優デビューだったんですけど、その映画の撮影で仲良くなったスタッフさんの娘さんが、WWEのマネージャーをやっていたんです。僕もプロレス好きだったので、その撮影期間中はよくプロレスの話をしていたんですが、それから日本に戻ってサラリーマンをしていたときに、急にその撮影スタッフから連絡があって。「4月にサウジアラビアでWWEの試合があるから出ないか?」と。
──思いがけない連絡ですね。
S: 今まで相撲を観たことがない海外のお客さんに対して、四股を踏んでいる姿を見せたり、相撲のパフォーマンス的なものをするんだと思い、事務所を通して出演することにしたんですが…。当日、サウジアラビアの会場でメディカルチェックを受けろと言われ「こんなことまでするの?」と思っていたら、新日本プロレス出身のレスラー・中邑真輔さんに「お前も試合に出るんだよ」と言われて「いやいや、聞いてませんて!」となりまして…。
──相撲のパフォーマンスをすると思いきや、真剣に試合に出ることになっていたと。
S: はい。「レスラー50人によるグレイテストロイヤルランブルに今から出るんだよ。そのために来てるから」って言われて、慌てて所属事務所に連絡しました(笑)
──(笑)
S: 試合は負けましたけど、すごくいい経験になりましたね。力士を引退して、普通にサラリーマンをやっていた僕がWWEの舞台に立って試合までできたんですから。
──そのままプロレスの道に行こうとは思わなかったんですか?
S: 一応、 今後もWWEに出たい気持ちがあるなら契約しますという話も出たんですけど、ネイティブレベルの英語力が必要だったり、色々と条件がありまして。出たときの反響が凄かったから、このままプロレスの道に行くのも面白いかなとは思いましたけど、今が楽しいのでこれで良かったんだと思います。
僕から「稽古行ってもいい?」とDMを送った
──住さんは神戸大学の相撲部で指導をされていたと伺いました。
S: はい、生徒たちが一流企業に就職しちゃったので今はもうやっていないんですけど、やっていましたよ。
──きっかけは何だったんでしょうか?
S: 王子公園という神戸の公園で、大学生が相撲をやっているという噂を聞いて観に行ったんですよ。そうしたら、ひょろひょろのやつらが、サークル気取りでやっていて(笑) 「どうせやるんだったら、しっかりやらせた方がいいな」と思い、僕から「稽古行ってもいい?」とDMを送ったら「来てください!」と返事があったので、指導をするようになりました。大学の体育会って1部~3部リーグまであって、各リーグごとに戦うんですよ。神戸大学の相撲部は3部所属で弱かったんですけど、全日本選手や体重別選手権という括りの大会になると、リーグ関係なしで戦うことになります。僕が指導していた子が「昨年はぼろ負けで一回戦で負けた」と言っていたので、「来年は決勝トーナメントに上がれたらいいなみたいな」と言いながら練習をしていたんですが、靖国神社で行われた全日本体重別選手権で、なんと全国二位になったんですよ!
──一回戦負けから全国二位ですか! それは凄い!
S: 本人が一番嬉しかったでしょうし、本人の努力の結果ですけど、僕もめちゃくちゃ嬉しかったです! これはおまけ話ですが、当時イギリスから来ていた留学生の子が相撲部にいて、帰国した際に相撲を経験して、面白かったと大学に話したそうなんですよ。そうしたら、その大学から僕に「相撲という伝統文化を講演してくれないか」とオファーがきて!
──ええ! なんだか不思議なご縁が続きますね!
S: 結局、その話はコロナの影響で流れてしまいましたが、本当だったらイギリスの大学で相撲について講演してましたね。もしまた機会があればチャレンジしてみたいなと思っています。
相撲の魅力といえば相撲取りだけではなく、行司さんや呼出さん、床山さんにもある
──相撲の魅力ってどこにあると思いますか?
S: うーん…なんでしょうね。最近、若い子が観るようにはなってきていて、スー女っていう相撲好きな女の子たちも増えているみたいなんですけど、どこに魅力を感じているんでしょうね?(笑)
──相撲の臨場感はすごいと思います!
S: 確かにそうですね。野球とかサッカーは試合中に応援がありますけど、相撲って立ち合いの瞬間は「きゅっ」と静かになるんですよ。だから前の方で観ていると、力士の息使いや立ち上がって身体が当たる瞬間の音が聞こえますし、流れる汗も見えます。こういうスポーツは珍しいかもしれませんね。土俵に立っている側としては、特に両国国技館は周りが真っ暗で土俵からお客さんが見えないから、すごく集中できますね。大阪とかだと自分の地元ということもあって、控えに座っているときに「あー…、あいつ来てくれてるわあ」と友人を見つけることもあります(笑)
──そうなんですね。場所ごとにそんな違いが…!
S: あと、相撲の魅力といえば相撲取りだけではなく、行司さんや呼出さん、床山さんにもあると思います。あまり知られていないと思うんですけど、行司さんにも力士と同じように序ノ口格とか8段階の階級があります。そして力士に定員がないのに対して、行司さんたちには定員があるので昇進するまでに何十年もかかったりするんです。同じく土俵を作り、力士の呼び出しをする呼出さんにも、力士の髪を結う、床山さんも階級があり、厳しい世界です。そのあたりの伝統やそれぞれの技術にも注目してみてください!
──最後に、今後の目標を教えてください。
S: 月9とか出てみたいですね(笑) 大河ドラマとか、舞台とかも。最近、橋本環奈さんが出演されていた『千と千尋の神隠し』の舞台を観て、凄く面白かったんで。
──今はもっと役者として挑戦していきたいということですね。
S: 演技への興味もありますけど、ドラマや映画の撮影って、ちょっとした合宿みたいな感覚があるんですよね。大勢のスタッフさんや出演者の皆さんと一緒に撮影して、撮影後にご飯行ったりとかして。それが楽しいんです。
──では、今後の活躍も楽しみにしています!
Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
S: 「シュッとしてる」の意味をとりあえず調べていいですか?
──どうぞ(笑) 普段、あまり使われませんか?
S: あぁ、こういうことか! 確かに言うなあ! 僕、趣味がハーレーに乗ることなんです。ロードグライドスペシャルというのに乗ってるんすけど、それがシュッとしてるかな。
──バイク乗りなんですね! ツーリングとかもよく行かれるんですか?
S: 行きますよ! 普段から移動手段として乗っているので、さっきもお蕎麦屋行ってきましたし、バイクで東京も行きます。
──東京までとなると、手や腰が痛くなりそうですね…。
S: クルーズコントロールという設定した速度で一定走行してくれるシステムがついているので、ボタンを押しておけば勝手に走ってくれるので、意外と楽ですよ!
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
S: 夢と希望ですね。開けると叶うというね!
住洋樹
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兵庫県神戸市出身。飛翔富士の四股名で活躍し、2017年に力士を引退。現在は飲食業経営やインバウンド業などを手掛けながら俳優としても活躍し、9月に日本公開される『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(原題:JOHN WICK:CHAPTER4)にも出演。