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マグカンさんの作品:【第六十六回】劇団鹿殺し 丸尾丸一郎さん

関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!

第六十六回は、

「劇団鹿殺し」の丸尾丸一郎さん! 脚本を書くときの苦悩や、劇団の変化についてお話を伺いました!

 

「劇団鹿殺し」って?

関西学院大学の演劇サークルに所属していた菜月チョビと丸尾丸一郎が旗揚げした劇団。関西での活動を経て路上パフォーマンスをきっかけに注目を集め、2005年へ東京に活動の場を移す。以降、力強いパフォーマンスと音楽性を武器に観客を魅了し続けている。

 

自分の人生を活かすしか方法がない

──丸尾さんは劇団鹿殺しで脚本を手掛けていますが、丸尾さんの脚本は幼少期の経験を反映したようなストーリーが多いように感じます。観ていると辛くなる部分もありながら、それでも最後はその沸々としたものが解放される瞬間があって、そこが魅力的だなと。

丸尾(以下、M): そうですね、やっぱり自分のこれまでの経験は核になっていると思います。僕は24~25歳から脚本を書き始めたんですけど、元々脚本家になりたいと思っていたわけじゃないので、自分が脚本家として上手いとも思っていないし、同年代の人に比べたらキャリアもない方だと思っています。だから自分が他の人に勝つためには、やっぱり自分の人生を活かすしか方法がないんですよ。なのでどんな作品を書くにせよ、まずは自分の過去の感情やトラウマ、そういうことを掘り起こすことから始めます。それが他の脚本家には出せないもの、自分にしか書けないオリジナリティに繋がっていくのかなと思います。

──では、丸尾さんにとって脚本を書くことはかなり苦しい作業になりますね…。

M: めちゃくちゃ苦しいですね(笑) 書き終わったあとは深夜の国道で小躍りしたくなりますから。脚本を書いている時は基本冷静なんですが、たまに没頭して感情移入しながら台詞を書いている瞬間があって、そういう時は登場するキャラクターを通して子ども時代の自分や、自分の親に話しているような錯覚を起こしています。例えば、僕は天然パーマなんですけど、子どもの頃はこの髪にすごく悩んでいて、ずっとストレートパーマをあてていました。今ここに子どもの頃の自分がいたら「そんなこと気にせんでええで! もっと他に気にすることいっぱいあるで(笑)」って言ってあげたいんですよ。子どもの頃ってすごく細かいことで悩んでいたりするけど、大人になった今だから分かること、言えることがあるっていう実感は、自分の創作欲求に繋がっているかもしれません。

──ということは、丸尾さんは幼少期の頃はネガティブ思考だったんですか?

M: 今でもそうですけど、僕はすごくネガティブな人間なんですよ。母親はポジティブな人で、父親はどちらかというとネガティブ。自分は両親の要素を強く受け継いでいるなと思いますね(笑) だから僕の作品はうだつが上がらないような生活を送っている人が潜って潜って潜って…そこからちょっと上向いたところで終わるストーリーが多いかもしれないです。

──以前、他のインタビューで、フラワーカンパニーズの鈴木さんたちと対談されているのを拝読して、面白い組み合わせだなと思っていたんですが、今のお話を聞いて納得しました。丸尾さんと似ているのかもしれませんね。フラワーカンパニーズは一見後ろ向きだけどすごく前向きなことを歌ってくれるバンドだと思うので。

M: そうそうそう! だから好きなんでしょうね。僕が影響を受けた劇団唐組の唐十郎さんが「どれだけ多くの人に観てもらうかが問題ではなく、何人の心に残るかが問題だ」というような言葉を残しているんですが、僕もいかに人の心に自分の作品を残せるか、それによって観客の人生が少しでも好転していく…そこが一番大事だと思っていて。そういう点で、フラワーカンパニーズの歌ってまさにそうなんですよ。日本一売れているバンドではないかもしれないけど、フラワーカンパニーズに人生を救われたり、涙をこぼした人はすごく多いと思うし、かっこいいバンドだと思いますね。


──ジャンルを問わず、最近気になってるエンタメや影響を受けているものはありますか?

M: 日曜日の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)は絶対に録画して観ています。わりと暗い回も多いんですけど、あの人間ドラマはキャラクターの造形を考える上ですごくヒントになっていますね。あと、貴重なアーカイブス映像とともに歴史や偉人を振り返る『映像の世紀バタフライエフェクト』(NHK)も好きです。この二つは必ず録画して観ています。

──どちらもノンフィクションなんですね。

M: そうですね、元々ノンフィクションというジャンルが好きかもしれないです。そんなに映画やドラマ、アニメを観ることはなくて…。だから役者と演技について喋ってる時も「ちょっと前のノンフィクションで、こんな人がいたんだよ」って言ってることが多いかも(笑)

 

人気がなさすぎて逆ギレして東京に出てきた

──そもそも、丸尾さんが演劇を始めたきっかけは何だったんですか?

M: 高校の文化祭でやった『ピーターパン』のクラス演劇がきっかけです。僕は人気者ってわけじゃなかったんですが、いじられキャラだったので「丸尾、ピーターパンやれや!」という感じでピーターパン役をやったんですよ。講堂の扉を開けて、「ウェンディの手を離せ!」って言いました(笑)

──コメディっぽい感じだったんですか?(笑)

M: 高校生にありがちな、吉本新喜劇風にアレンジしたテイストでした。フック船長が現れたら全員でズッコケて倒れるっていうような(笑) とにかく、クラスのみんなで同じ目標に向かって作ることが楽しかったんですよ。僕は高校でバスケットボール部に入っていたので、大学でもバスケットボール部に入ろうかなと思っていたんですが、大学のレベルがあまりにも高すぎて「ああ、バスケ部は厳しいなあ」って思った時に、「あっ!」とピーターパンのことを思い出して。それで演劇サークルの扉を叩きました。

──劇を作り上げることとバスケットボールの試合で勝つのとではまた違った感覚だったということでしょうか?

M: バスケットボールは才能無かったんですよ…。思い出としては前歯折ったくらいで(笑) だからなんとなく辞めるタイミングを考えていたところもあったんだと思います。

──そこから4年間は演劇に青春を捧げたんですね。どんなサークルでしたか?

M: まぁ…演劇サークル兼恋愛サークルな面もありましたけどね(笑) 僕は大学3年生の頃から演出を始めて、僕の代から人気も出てきたと思っていたんですけど、僕の一つ下にいた鹿殺しの座長・菜月チョビの代がすごかったんですよ…。ホールに入れないぐらいお客さんが入ってきて。それが劇団鹿殺しを作ったきっかけでもあるんですけど、僕が目指していたお芝居は渋い会話劇で、笑いとか一切ない、かっこいいスタイルの劇を作りたかったんです。それはある程度評価もされていたんですけど、チョビが演出を手掛けた代の舞台はなんかガチャガチャしていて、画作りとしてのセンスはなかったけど、お客さんはとにかくウケていて。ドカンドカン笑いが起こっていました。だから彼女から一緒に劇団作ろうと誘われた時「自分とは全く違うものを持った人だから、彼女と劇団を作ったら面白いんちゃうか。なんか上手いこと繋がっていきそうやな」という予感がして、旗揚げしました。

──旗揚げからしばらくは「つかこうへい」作品をやっていたんですよね? それがすごく意外なんですが…。

M: そう、鹿殺しは元々「つかこうへいの作品をチョビが演出するための劇団」だったんですよ。当時は三谷幸喜さんや、野田秀樹さん、鴻上尚史さんの作品をやる劇団が多かったんですが、チョビが福岡県飯塚市出身で、つかさんと同郷で。それがきっかけで彼女は一気につかさんワールドに没頭したものの、つかさんの作品を映像で見たら、自分がイメージしたのと違ったらしいんです。だからチョビが自分で演出したいっていうところから劇団を作ることになって。

──そこから関西でしばらく活動され、東京進出を果たしたんですよね?

M: ただ、つかさんばっかりやっていても、劇団としての未来はないと感じたので、全員で脚本を書く練習を始めたんです。でも、みんな出だしは面白く書けるんですけど最後まで書けなくて。僕は面白くないけど、唯一ラストシーンまで書けたんですよ。それだけの理由で今も脚本を書いています(笑)

──漫画家も最後まで書くのが才能と言われますからね…。

M: そうそうそう。まぁ…僕のはつかさんの脚本を開いて「ここで逆ギレする、ここで喧嘩が起こって…ええ感じになる。…なるほどな」みたいな感じで、つかさんの流れを完全にコピーしただけのものでしたけど(笑)

──そこから関西でしばらく活動され、東京進出を果たしたんですよね?

M: はい。僕は普通に就職しながら劇団を続けていたんですが、当時の劇団員から「会社勤めするか劇団続けるか、どっちかはっきりしてください!」って言われたので「おうおう! 分かった、辞めてやるよ!」と宣言して辞めたんですよ。そのどっちか選んでくださいって言った劇団員、今はもう誰も残ってないんですけど…(笑) それから劇団活動に集中したんですけど、一向に動員が増えなかったんですよ。だからお客さんを増やすために、路上パフォーマンスをしてみたら、普段演劇を観ないお客さんも集まってくれるようになって、なぜか一気に東京の人脈も増えたんです。それで「ああ、すぐに東京行きたいなあ」と思い立ち、当時いた7人の劇団員に僕が提案しました。「俺は東京行くけど、みんなは好きにしてや」と伝えたら、みんなも彼女と別れたとか、会社辞めたいとか、とにかくタイミングが良かったので、全員で行くことにしました。でも「みんな貯金なんぼある?」って聞いたら、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ!って言うから、「じゃあまず各自20万ずつぐらい貯めてから東京に行こう!」と(笑)

──よくある大阪で売れたから東京に進出するパターンではなかったんですね。

M: 関西公演のときによく「凱旋」とか「ホーム」とか言ってもらうこと多いんですけど、僕らは人気がなさすぎて逆ギレして東京に出てきたから、関西はほろ苦い思い出が強いんですよね。だから違和感があります(笑)

 

あのまま見栄を張り続けていたら、団体としては潰れていたような気がします

──東京に拠点を移してから約20年経ちますが、演劇界は昔と比べて変わりましたか?

M: 大きく二つ変化があったと感じているんですが、一つは目標が変わったように思います。昔は東京の下北沢「駅前劇場」のような小さな劇場からスタートして、「ザ・スズナリ」、そして「本多劇場」といったように、大きな劇場での公演を目指していく「劇場すごろく」という流れがありました。ただ、今はもう「大きな劇場で公演ができるようになりたい」、「劇団を大きくしていきたい」ということよりも、自分たちがやりたい作品を追求する団体が増えたと思います。

──なるほど。

M: もう一つは、劇団の数も減ってきたと感じます。劇団って今の時代に合わないですからね(笑) そもそもお金を稼ぐために集まった団体ではなく、自分たちが納得する作品を作るっていうところから始まっているので、感情をぶつけ合うことが多いんですよ。それって、今の世の中や若い子たちからすると、すごく特殊な世界だと思います。だから結果として劇団も少なくなってきているし、すごろく式に上がっていきたいという目標もない。それに付随するのか分からないけど、派手なお芝居をやる劇団が東京では本当になくなってきた気がしますね。リアルな会話劇やアートな空気感の作品、海外でも評価されるような作品を目指すアーティストが増えてきた印象です。

──前に扇町ミュージアムキューブの方々にインタビューした際、東京と関西では作品の色が全然違うというお話をされていました。関西はお客さんがリアクションしやすいものを提供しているファストフードっぽいイメージがあって、東京は「食べても食べなくてもいいよ」という印象があると。

M: 確かに(笑) 一年前ぐらいに関西演劇祭の日替わり審査員をやらせてもらったんですけど、関西の演劇臭が懐かしかったんですよね。やっぱり目立ちたいっていう思いが全面に出ているというか(笑) 僕もどっかで目立ちたいっていう思いがあったから演劇を始めたので、すごく分かるんですよね。なんとなく、東京の人たちとはそこの初期衝動が違うような気がします。

──では、演劇界が変わるなか、劇団としては昔と今でどう変わりましたか?

M: 5年ぐらい前までは、僕らもどんどん劇団を大きくしていきたくて、800人キャパのサンシャイン劇場で10日間ぐらい公演するような大きな興行を積極的に増やしていました。でも、それもしんどくなってしまって…。いろんなゲストの方を呼んで、その人たちと作品を作り上げながら興行を大きくしていくことに夢中になっていたけど、このままこの方法で活動を続けていっても自分の幸せがないような気がしたんです。そこから、自分たちのスタンスで作りたいお芝居を目指していく方が、人間として豊かになれる気がしたので、今はもっとナチュラルな姿で自分たちの表現を追求していくことを目指していますね。

──その方向転換は今振り返ると良い選択でしたか?

M: きっとあのまま見栄を張り続けていたら、団体としては潰れていたような気がしますね。どっかでパンクして。昔はもっと目の前の1年~2年先の興行しか見えてなかったけど、今は5年~10年後の未来もイメージできるから、すごく穏やかで豊かな気持ちでお芝居と向き合えている気がします。

──では最後に、今後の展望があれば教えてください。

M: 最近、僕の周りに子どもを持つ方が増えたので、子どもと関わる機会が多いんですけど、子どもと遊んでいるときが一番人間らしくいられるというか、幸せな時間だなと気づきまして。だから演劇においても、子ども向けのお芝居や、子どもたちと劇を作るワークショップなんかをやってみたいなと思っています。やっぱり、絶対大変ですよね、今からの子どもたちって…。日本は人口も減って暗いニュースが増えてくるだろうし…。だからこそ、少しでも子どもたちが明るくなれる機会を作ったり、手助けができたらなと思います。

 

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
M: 今ぱっと浮かんだのは星野源です。えっ…星野源?
──え? いやいや! 自分で言っておいて何で驚いているんですか!(笑)
M: すみません(笑) えっと…星野源って男性も女性も憧れるじゃないですか。一生懸命やってなさそうで一生懸命やってるし、汗かいてなさそうだけど汗もかいてるんだろうし…憧れますね。星野源になりたいです!
──あ、そうなんですね。今日のお話を聞いていると、すごく意外というか…。
M: ちゃぶ台をひっくり返すような感じですか? でも、僕だって爽やかな風を出したいんです(笑) 星野源ってエンタメと文学性と、POPとアートと…すごいですよね。うん、星野源になりたいです。演劇界の星野源に!(笑)
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
M: ポジティブ玉…ですかね。どんなに疲れている時でも、飲めばいいんですよ。摂取しすぎると、国道で小躍りしたくなっちゃうから容量用法は守って(笑) やっぱり40歳を超えて思うのは、人生お金とか地位とかいろんな大切なものがあるだろうけど、死ぬ時に何が評価されるべきかというと、笑顔の数な気がするんですよね。「あぁ、おもろかった」っていう人生が一つの成功例なんじゃないかなと。だからポジティブ玉で、少しでもみんなの笑顔が増えるといいですね。


丸尾丸一郎

劇団鹿殺し 【HP】 【X】

1977年、大阪府出身。劇団鹿殺し第4回公演以降、全作品の脚本を手掛ける。2011年に上演した兵庫県尼崎市を舞台にした代表作『スーパースター』は第55回岸田國士戯曲賞最終候補作にノミネートされた。近年では『家庭教師ヒットマンREBORN!』the STAGEや『マジムリ学園』の脚本・演出、映画『Gメン』の脚本など、話題作を数多く手掛ける。好きな漫画は『Oh!透明人間』(講談社刊)

撮影:青谷建

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