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マグカンさんの作品:【第二十七回】日本災害復興学会 特別顧問 山中茂樹さん 後編

関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!

第二十七回は、

日本で初めて災害復興学講座を開講し、復興や減災について伝え続ける 山中茂樹さん にお話をうかがいました! 今私たちができる「減災」とは何か、教えていただいたロングインタビューの後編です。

2021年1月17日で、阪神・淡路大震災発生から26年目を迎えます。その間にも、日本は様々な地域で地震や水害などの自然災害に遭ってきました。
日々を生きる私たちができることは何なのか。関西事業部として関西出身・在住の作家さんと編集者で作っているからこそ、読者の皆様にお伝えしたい。なので、前編では「減災」という取り組みについて、「防災」とどう違うのか、一体どう考えていけばいいのか、復興や減災について日々研究されている山中茂樹先生に教えていただきました。

 

≫ インタビュー前編はこちら

 

「西宮震災記念碑公園」西宮市犠牲者追悼之碑が設置されている。

 

山中茂樹先生って?

震災当時、朝日新聞社神戸支局(現総局)で次長を務め、その後、兵庫県西宮市にある関西学院大学で災害復興制度研究所創設に参加。2007年度に関西学院大学で災害復興学講座を日本で初めて開講、2008年には日本災害復興学会の創設発起人となる。

 

復興に対して国のやる気が全くないことへの怒り

──減災で私たちができることを前編で教えていただきましたが、後編は山中先生ご自身のことをおうかがいします。朝日新聞社にお勤めの時に震災を経験されて、今では復興に焦点をあてた研究をされていますが、どうして研究の道へ進まれたのでしょうか?

山中(以下、Y): ふたつ動機があります。ひとつは、阪神・淡路大震災を経験して、メディアの人間として十字架を背負ったと感じたことです。大震災が起きるまでの40年間も、関西で死者が出るような地震が一回もなかったんですよ。僕らはすごく安心していて、関西で災害のことを全然警告してこなかった。新聞社にいながらにして地震ということは全然念頭にないし、「たぶん東海地震が来るだろう」くらいにしか思っていなかったんです。そういった思い込みを「関西安全神話」って東京大学のもう亡くなられた廣井脩先生が名付けられて。

──関西の災害への油断を「関西安全神話」と言われていましたね。

Y: ふたつめは、阪神・淡路大震災の直後に感じた、復興に対して国のやる気が全くないことへの怒りです。当時の総理大臣の村山さんが「一般的に自然災害等によって生じた被害に対して個人補償をしない、自助努力によって回復してもらうということが原則になっている」と言ったんです。彼はまぁ、財務省に言わされたんだと思いますけど、「こんなにひどいことになっているのに自助努力で再建できるわけがないじゃないか」と感じて。この国の復興に対する仕組みは一体どうなっているのかと調べてみると、個人に対してはこれといった法律がなかったんですよ。それが頭にきたというかね。

──阪神・淡路大震災以前でも全国で災害があったのに、個人への支援を約束する法はなかったんですね…。

Y: これは何とかしないといけない、と。神戸の人たちはみんな思いました。それで、「自宅の再建なくして復興なし」っていう言葉がだんだん合言葉になっていって、被災者の生活再建支援の運動に繋がるんですけど、僕もこれではだめだ、と。復興を何とかしないといけない、と動き出すようになったんです。復興っていうのは、人間中心なんですよね。大正時代に福田徳三が「人間復興」と言いましたが、それは一人一人の復興、再建なんです。僕はどうしてもそこに「町づくり」をつけたくて。だから減災を続けた上で、どうやって再起していくか、再建していくかを考えているんです。

 

復興は答えがひとつではない

──震災後、1998年に被災者生活再建支援法という法律ができましたが…。

Y: そう、できたんですけど。最初の法律では、生活再建に100万円の支給だけだったんですよ。それもね、70万円は通常経費として一般的な事柄の現物支給。冷蔵庫とか洗濯機とか、そういうものしか買えない。残りの30万円は特別経費としてその地域特有の物しか買えないっていう縛りで。例えば北海道だとルームエアコンはだめとか、そういうのがずっと細かく、何十品目と書いてあるようなひどい法律だったんです。

──現在も改正が繰り返されていて、問題をたくさん抱えていますね。

Y: 支援法の付則2条に書き込まれた留保条件「住宅再建支援の在り方については、総合的な見地から検討を行う」に基づいて設置された委員会があって、その委員長に就いた、東京大学の廣井先生と一緒に十カ月くらいすったもんだすったもんだで議論になった委員会に関わったんですけど、答えがでなくて。これはもうだめだ、と。廣井先生と復興基本法を作らないとどうしようもない、という話になったんですよ。でも、他に一緒に作ってくれる大学も見つからないし、法を作るのに基礎調査だけで大体2000万円かかるって言われるしで、二人じゃどうしようもなくなって。

──個人で2000万円はいくらなんでも…。

Y: そうこうしていたら、関西学院大学のほうで震災から十年経つのを機に何かプロジェクトをやりたいという相談が来て。それからいろんな人と話をするうちに、復興法を今すぐ作るのは難しい、まずは大学に研究所を作ろうという話になっていったんですよね。

──それが、今の研究者への道に繋がっていくんですね。

Y: いろんな人が怒りと「何とかしよう」という思いを持っていたんですよ。それが全部かみ合っていって、関西学院大学に災害復興制度研究所ができて。社会学的に復興を考えた復興学の授業を全国で初めて開講して。いろんな研究員の人を集めたけど、それだけでは足りないって言って2008年に復興学会を作って…今に至ります。まぁ長いお話でした(笑)

 

奥歯を噛み締めないと涙が出て読めない原稿が山ほど

──阪神・淡路大震災で一番記憶に残っていることは何か、おうかがいしてもよろしいでしょうか。

Y: 当時は朝日新聞社神戸支局でデスクを務めていたので、現場には出ていなかったんですが、原稿をチェックする立場なので被災地で起きていることを記者たちから次々と知らされていました。その中で、お母さんが焼け死んでしまった小さい女の子の話があって。その子はお母さんの遺骨を空き缶に入れて持っていて、それを避難所に置いていたんですけど、ごみと間違えられてごみ収集車が持って行っちゃったんです。その一報が神戸支局に入ってきた時はびっくりして。事務所にいた30人くらいが総立ちになったくらい、「何とかしなきゃいけない」って強く思って、みんなで行方をずっと追いかけました。

──それでその遺骨は…?

Y: ごみ収集車を追いかけたんですけど、それからどうなったか…思い出せないんです。残念ながら。確か、神戸市の震災の冊子か何かに載っていたんじゃないかな。遺骨を入れた缶を持っている女の子の絵が。

──そんなことが…。

Y: あの頃は東京からも大阪からも応援が来て、いつもデスク二人のところを四人でやっていたんです。毎晩、次の日の夕刊は何をするかを決めて、記者が作った原稿を見て。もう輸送手段がなくなっていたから夕刊の締め切りが普段より早くて、夜中のうちに原稿を作ってしまわないと間に合わず、僕らデスクはほとんど寝られなかったんですよね。

──震災で起きたことが毎日山中先生のもとに集まってくる状態だったんですね。

Y: 本当に原稿がいっぱい出てきて、もうね、今言っても涙が出るけど…、奥歯を噛み締めないと涙が出て読めない原稿が山ほど出てくるんです。それが毎日続いてね。本当にひどい。その中でも、その女の子のことを一番思い出します。

──これからも研究者として続けていきたいことは何ですか。

Y: この世の中で、常に不条理っていうものを感じ続けていて。新聞社に入った頃も、四日市ぜんそくとかの公害問題や、養護学校義務化の反対運動があった時で、そういうことばかり担当していたんです。復興でも、不条理や不正義を感じることが出てくるんですよね。防災や減災は答えがひとつしかないけれど、復興は答えがひとつではないじゃないですか。最大多数の最大幸福を見るのか、一人一人の幸福を見るのかで対立しちゃうんです。そもそも、最大多数の最大幸福って言ったって、誰がそれを計量しているのか分かりませんよね。得てして為政者にとっての最大幸福である場合が多いですし。例えば、宮城県や岩手県では復興の状況が全く異なっています。なぜそういうことが起きるのかと言うと、為政者の考え方に強く左右されやすいからなんです。復興は不条理さが表面化しやすい。こういうのがやっぱり許せなくって。僕は1960年・70年の「安保闘争」(日米安全保障条約に反対する大規模なデモ運動)を経験しているから、どうしてもそういう風になっちゃうんですけど、そこが原体験なんです。だから、不条理や不正義を正すような研究をずっと続けなきゃいけないな、と思っています。それがまぁ、死ぬまで逃れようがないのかな。常に新しく勉強しないとだめなので、死ぬまではいつまでも続くなという気がしていますね。

 

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
Y: 潔さ。普段着の言葉で潔く物を言える人って魅力的じゃないですか。そういう人ってある意味すごく強いというか。信念を強く持っていて、間違ったら間違ったと平気で言えるような。最近日本全体にないんじゃないかと思っていますけど、そういう、葉室麟の小説に出てくる侍のような潔さが「シュッとしてるもの」かなって思います。
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
Y: 愚直さと社会正義。これをミックスしたハーフ&ハーフですね。同調圧力って最近ものすごく強いじゃないですか。うちの子もそうだけど、空気を読んで周りと違う意見は言わないようにする人がずいぶん増えている。正義は人によって違うけれど、自分の社会正義を持って周りとは違う意見を主張できる愚直さみたいなものが、今の社会に求められているものだろう、と。自分がそれをできているかどうかは分からないですけど。逃げる時もありますしね。まぁ、こうやって社会正義って言うとうちの子には「引く」って言われちゃうんですけど…。若い時はやっぱり空気読んだり、大勢に従ったりしますよね。でもこの年になると平気っていうか、誰に嫌われたっていいやっていう感じで怖いものはないんです。僕は生涯新聞記者でいるつもりでやってきたんだし、いかに周りからバッシングを受けても愚直に社会正義を言い続けなければならない。缶詰と言われたら、その気持ちが入っているかなと思います。

 

山中茂樹


HP

大阪府出身。1946年生まれ。関西学院大学災害復興制度研究所顧問・指定研究員。著書に『漂流被災者 「人間復興」のための提言』(河出書房新社刊)、『災害からの暮らし再生』(岩波書店刊)、 『震災とメディア』(世界思想社)など。好きな漫画は『ゴルゴ13』、『あずみ』、『空母いぶき』(すべて小学館刊)など。

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2021/1/17