

関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!
第四十八回は、
クリエイターの早瀬直久さん にお話をうかがいました! 奇妙礼太郎さんとの楽曲制作や早瀬さんのルーツに迫ったインタビューです。
「早瀬直久」さんって?
音楽ユニット「ベベチオ」のメンバーであり、これまで映画やCMなど様々な分野の楽曲を手掛ける。また、アーティスト「奇妙礼太郎」のプロデュースも手掛け、アルバム『ハミングバード』、『たまらない予感』では、全ての楽曲の作詞作曲編曲を担当。その他、“暮らしをもっと掘り上げる”プロデュースユニット「ragumo」の代表も務め、行政と連携した地域活性化のプロデュース、クリエイティブを使った地域編集など、ジャンルを問わない企画制作活動は多岐にわたる。

「やっぱり早瀬節やな」
──2022年4月にリリースされた奇妙礼太郎さんのフルアルバム『たまらない予感』は昨年リリースされたミニアルバム『ハミングバード』に続いて、今回も早瀬さんがプロデュースされたんですよね。
早瀬さん(以下、H): はい。楽しく充実した制作期間でした。
──どういう経緯で一緒に作ることになったのでしょうか? 奇妙さんとは元々交流があったんですか?
H: 奇妙くんとはライブをきっかけに面識があって、2019年には二人でツーマンライブをしたんですよ。そのときのライブで何か好きなことをやりたいねっていう話から、お茶好きな僕が『お茶を飲もう』という曲を書いて、物販ではお茶農家の知り合いに頼んで自分でブレンドさせてもらったお茶を販売したんです。
──面白い取り組みですね!
H: 奇妙くんもそういうところを面白がってくれたのか、事務所から独立してフリーランスになったタイミングで「自分でCDを作るにはどうしたらいいのか」という相談をしてくれていて、いよいよCDを制作するっていうときに『お茶を飲もう』以外にも曲を作ってくれないかという話をいただきました。それで一緒に動き始めたのが『ハミングバード』のときですね。リリース前の段階ですごく好評だったみたいで、すぐに「次の制作もお願いします!」という話がきて決まりました。ちょうどコロナ禍だったのでライブもそんなにできないし、僕も制作モードになっていたので、続けざまに制作が始まりましたね。
──そうだったんですね。リリースの間隔が早かったので、どんなスケジュールで動いていたのか気になっていたんです!
H: そうなんですよ。「ほんま、この大変さ分かって!」って感じで(笑) 基本僕が曲を作ってアレンジして、奇妙くんには歌撮りのときに来てもらうっていうペースだったんですけど、人知れず僕は燃えていました(笑)
──今回のアルバムを作る際に意識的に挑戦したことはありますか?
H: アルバムのタイトルにもなっている『たまらない予感』という曲は歌撮りの二日前に歌詞を書きました。アルバムが出来上がっていく過程のテンションや気持ちを入れ込みたかったので、一番最後に歌詞を書くことは決めていたんですけど、バタバタしていて思っていたより時間がなかったです(笑) でもばっちりハマりましたね。
──直前に歌詞が出来上がることに対して、奇妙さんの反応はどうでした?
H: 「うん、オッケ~!」って感じでした(笑)
──早瀬さんを信頼しているからこそなんでしょうね(笑)

──今回のアルバムでは生演奏ではなく打ち込みの音も多く使われている印象を受けたのですが、奇妙さんは生音の弾き語りのイメージが強かったので、奇妙さんの声と打ち込みの音の相性の良さが印象的に感じました。
H: 奇妙くんは歌の運動神経がいいので、生ドラムで人が揺らしている感じじゃなくて、すごくタイトなリズムの中で歌うのも興味深いんじゃないかなと思ったし、ポップでキャッチ―になる気がしたんですよね。
──今回のように、誰かをプロデュースをする際に人の魅力を引き出す秘訣ってありますか?
H: やっぱり人に曲を作るときは、その人と喋ることも大切ですし、想いのスピード感や人となりを自分なりに吸収して、この人が歌うなら…っていうのは大事にしています。僕が曲を作ると「やっぱり早瀬節やな」って言われることが多くて、最初はその早瀬節が「あかんのかな…」って思っていたんですよ。「また俺の感じになってしまってんのかー」と。でも、最近どうやらそれが良いことだと気づいてきましたし、僕のことを知らない方は「奇妙くんが作った曲やと思ってた」という方も多いみたいなんですが、それだけ奇妙くんに馴染んでるってことなので良いことだと思っています。
──早瀬節が良いことだと気づいたのは何か転機になる出来事があったんですか?
H: 徐々にですかね…。小さい頃から思っていたんですけど、自分の日記や小学校の頃に作った俳句とか見てると、僕って全然変わってないんですよ。テンションというか、言いたいことを少し湾曲しているところとか。今ではそこが一つの武器だと思っているので、例えば10代のアイドルの方に僕が曲を書いても早瀬節が出たら良いなと思いますね。
──早瀬さんの歌詞は言葉の組み合わせ方がすごく独特ですもんね。『少女漫画』の歌詞に「マイナスイオンの厚化粧」というフレーズが出てきますが、なかなか出てくるフレーズではないと思います。早瀬さんの中で「このフレーズはまったな!」っていうワンフレーズはあったりしますか?
H: ええ、難しいこと言うなあ~(笑) ワンフレーズではないですけど、歌詞を凝り過ぎて言葉が勝ってしまうと歌い回しが不自然になってしまう気がするので、いかに自然に歌えるかは大事にしています。でも『少女漫画』の歌詞は僕も気に入っています。あと、余談ですが『ランドリーナイト』という曲は、東京のコインランドリーで乾燥機をかけている間にできた曲なので凄まじいスピードで誕生しました。「まぶしくて吐きそう」なんて嫌なこと言ってますけど(笑)
──普段、サブスクで音楽を聴く方が増えていますが、サブスクを利用しているとアーティスト名は出てくるものの、作曲家や編曲の方などのお名前は調べようと思わないとすぐに出てこないですよね。先ほど「奇妙くんが作っていると思っていた」と言われることがあると仰ってましたが、その辺りにジレンマを感じることはないのでしょうか?
H: もうちょっと知られたいって思うことはありますね(笑) 作家としてもそうだけど、本当にアルバムを作るのは大変な作業でしたし。でも、作るのは好きだし楽しくてたまらないし。あと、CDを買ってくれて、クレジットのところまで見てくれた方が僕のことに気づいてくれて、DMや感想をくれたりするんですが、それがすごく嬉しいですし、励みになりますね。

トラックメイキングの企画
──早瀬さんは音楽関係の仕事以外に、「暮らしを掘り下げる」をテーマにしたragumoという企画チームの代表も務めてらっしゃいますが、暮らしにフォーカスを当てるのは何故でしょうか?
H: 中学3年のときに長いこと入院した経験があるので、そこも関係しているのかもしれませんが、元々暮らしを大事に思っていました。今は少なくなってきましたけど、昔のロックバンドではジミ・ヘンドリックスもジャニス・ジョプリンも27歳で亡くなってるんで「燃え尽きてやるんだ!」みたいな風潮もあったように思うんですが、僕は全然思そうは思えなくて。むしろ長生きしたいし、家も好きだし、新しい家電や映画も気になるし(笑) 音楽ライブとかでもみんな中指立てて破天荒に振る舞ったりしていますけど、しっかりリハーサルやっていますし、そういうのを見ていると素敵だなと思うんですよね(笑) 「ああ~なんやかんや、やっぱりみんな生活が大事なんやな」って。だから、僕の中では暮らしが第一なんです。
──なるほど。では、これまでragumoで手掛けたイベントや企画で1番印象に残っている出来事はありますか?
H: トラックメイキングの企画は印象的でした。飲み屋さんで、80tトラックを扱ってるっていう人と知り合いになって、「80tトラック!? そんなん存在するんかな?」って思ってたんですけど、詳しく話を聞いてみたら電車とか飛行機のエンジンとかを運んでいる、夜間しか走れないトラックが存在することを教えてもらったんです。それで、そんな大きいトラック見たことないので見てみたいですって見に行かせてもらって、単純に「でっけー」って感動したんですが、同時にトラックが長すぎてカーブのときに事故が起こったり、一般車両との接触があったりと、事故が多いことを知ったんです。そこで「もっとこうしたら事故減るんじゃないですか?」って話をしたんですよ(笑)
──早瀬さんがアドバイスをされたと。
H: 実際に見てみるとよく分かるんですけど、本当に大きくて真夜中の深海の鯨みたいなもんなんですよ。だから「蛍光塗料でトラック塗ったらいいんじゃないですか?」って提案しました。そうしたら「ほんなら、やってよ」って言われまして(笑) トラックなんて塗装したことなかったんですけど、こんな機会ないので「じゃあやってみます」っていうところから企画が始まりました (笑)
──行動力の賜物ですね!
H: ragumoのメンバーと「俺ら何してんねやろな」って面白がりながらやっていたんですが、驚くことにそれで色んな相乗効果があったらしいんですよ。思い付きで始まったことでしたが、事故が減ったり、良い結果に繋がったので印象的な仕事でしたね(笑)


日記をMDに吹き込んでたんですよ
──これまで早瀬さんの創作活動についてお聞きしてきましたが、早瀬さんのモノづくりのルーツはどこにあるのでしょうか?
H: 振り返ってみると、自然とモノづくりをやっていたような気がしますね。高校の時の文化祭では1年生の時からずっと僕が脚本を書いた演劇をやっていたんですが、ロミオとジュリエットのBLみたいな『ロミオとジュリオ』っていうのやったりしていて。…僕が脚本兼ジュリオやったんですけど(笑)
──あ、早瀬さんがジュリオまで!(笑)
H: それと、高校生のときにオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったので「宗教とはなんや」って高校で議論していた時期があって、宗教のパワーってすごいなって感じていたんですよ。だから、その時の文化祭ではみんなの文化祭費用をまるまる金の折り紙に変えて、金の仏像を作ったりしましたね(笑)
──バブルがはじけた世紀末でオウムの事件もあり、混沌とした時代だったのかもしれませんね。
H: どこか不安がある中で、みんなエネルギーがありあまっていたような気がしますね。若者のモヤモヤやムラムラで発電できたらいいのにってぐらいに(笑) そんな中、当時の僕は映画に興味があったので、高校卒業後は芸大の映像学科に進学して自主映画を撮るようになったんですけど。
──どんな映画を撮っていたんですか?
H: 振られるのが好きすぎて、振られるために恋愛をしている人の話とか作っていましたね。1アイデアか2アイデアだけで突き進んでいく拙いものばかりでしたけど(笑) たまにクラブイベントで上映してもらったり、上映会に作品を出したりしていたんですが、そうなると音楽の著作権の問題が出てくるので、その問題をクリアにするために自分で音楽を作り始めたのが、音楽との最初の繋がりでした。
──それまではギターを触ったこともないぐらいだったということですか?
H: そうですね。音楽は好きで聞いていましたけど、音楽って選ばれた人がやっているものって思っていたので。でも、そこから見よう見まねでやっていたら今に至りますね。
──音楽が原点かと思っていましたが、映画から音楽に繋がったんですね。
H: あと、学生時代にMDの録音機能が登場したので、日記をMDに吹き込んでいたんですよ。「俺がボーイズⅡメンに入ったら俺はこうしてる」とか(笑) 誰も聞かないからめちゃくちゃなことを散々言っていましたね(笑)
──それは自分で聞き返すために録っていたんですか?
H: 綺麗に録れることが楽しかったんで、その衝動で録っていたんだと思います。僕は料理も好きなので、揚げものをしているときの音を録って、食べながらその音を聞いていたりとか(笑)
──その頃のMDは今も持っていらっしゃるんでしょうか…?
H: 実家にあると思いますよ。70分テープが50本ぐらいあるんじゃないかな…。年月でいうと7~8年分ぐらいですかね。お風呂に入っているだけの1枚とかもあったはずです(笑) 当時はSNSやYouTubeもなかったので、誰に聞かせるわけでもなく、ただただ音を録っているだけでしたね (笑)
──なんと! それは是非聞いてみたいですね…‼
H: 声って面白いんですよね。小さいときの声って「こんな声してる?」ってちょっとこそばゆいじゃないですか。スティーヴィー・ワンダーに赤ちゃんが産まれたとき、赤ちゃんの泣き声をサンプリングして入れた気もちすごく分かりますね。その時代の声ってありますから。まあ当時はその面白さも何も考えずにやっていましたけど(笑)
──そういえば、早瀬さんが連載されていた『父さん百科』(※)でも、早瀬さんのお父さんがビデオカメラをよく撮る習慣があると仰っていましたよね。遺伝なのでしょうか?(笑)
※ウェブマガジン「うちまちだんち」にて連載の早瀬さんによるコラム『父さん百科』
▶ https://karigurashi.net/ours/tosan-01/
H: ああ、あれね!(笑) 僕は小さい頃から映画が好きだったので、家にあるビデオを片っ端から観ていたんですが、その中に裏ビデオみたいのがたくさんあって、「え、これって?」てなって(笑) 確か小学校1年生か2年生ぐらいのときだったと思うんですけど…。
──それを観たとき、早瀬少年はどんな感情だったんでしょうか…?
H: 悲しいとかマイナスな気持ちはなくて、「やっぱりな」と思いましたね(笑)
──やっぱりとは⁉(笑)
H: 大人の世界って、やっぱりあるよなってその時に思いました(笑) なんというか…不思議なフォルダができた感覚でしたね。他にも父親とのエピソードはたくさんあって、犬を飼いたいと父に言ったら「自分で捕まえてこい」と言われたので、家の近所にある野犬が出ると噂されるゴルフ場に実際に捕獲しに行った話とか。結局、怖くて野犬の捕獲は無理でしたけど(笑)
──いやあ、本当に面白いお父さんですね(笑)
H: そういう父に育てられたのもあって、なんというか…昔からミュージシャンだからとか公務員だから、教師なのに、みたいな考え方はあまりなかった気がしますね。それが今のいろんな仕事をさせてもらってるところにも繋がっているのかもしれません。
──なるほど。では最後に、マルチに活躍されている早瀬さんが、今後挑戦してみたいことがあれば教えてください。
H: 自分のソロアルバムは作りたいと思っているんですが、自分の曲で映画みたいなMVを作ってみたいですね。あと、ミュージシャンとしてだけではなく、今はSNSがあるのでそこで注目が集まれば評価される時代ではありますけど、一方では消化されていくスピードが早い時代なので、良いけど評価に結びつかない瞬間ってあるなって思うんですよね。だから残したものを大事にしたいというか、自分が作ったものが少しでも糧になるような活動をしていきたいです。

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
H: シュッとしてるって人が口に出してるときって…ちょっとだけ馬鹿にしてる感じありません?(笑) 本丸ではないというか…。男前とかスマートってイメージありますけど、みんな本気で思ってるのかちょっと疑問ですね。「あの人なんか足りへんなあ。シュッとしてるんやけどなあ」みたいな感じで、シュッとしてるの前後に逆説的な言葉が続きそうな…。生々しいかっこよさのときは使わない言葉な気がします (笑)
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
H: 全然知らない人の思い出話がアーカイブされているような缶詰がいいですね。僕、人の思い出話を聞くのが好きなんですよ。「思い出チャン」っていうコミュニケーションワークのイベントもやっているんですけど、若い人からおじいちゃんまで、みんな小学5年生のときってあったわけじゃないですか。なので、順番に話してもらうんですけど、年代が違っても不思議とみんな共通点があって面白かったりするんですよ。だから思い出話が入ってたら面白そうですね。
早瀬直久

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大阪府出身。芸大在学中に制作していた自主映画の挿入歌を書いた事をきっかけに音楽ユニット『べべチオ』を結成。ボーカルとギターを担当し、映画やCMなど様々な分野で楽曲を手掛けている。好きな漫画は『柔道部物語』(講談社刊)。
