192868 617311 617311 false XgOPdjyt0l0U3OsgL5O1ZH9BQO8OzouZ 861c5255e22ed01644c7b6d6ed42a636 【第五十二回】鳥瞰図絵師 青山大介さん 0 0 15 false
マグカンさんの作品:【第五十二回】鳥瞰図絵師 青山大介さん

関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!

第五十二回は、

鳥瞰図絵師の青山大介さん ! 鳥瞰図の描き方や青山さんの神戸愛についてお話をうかがいました!

 

「青山大介」さんって?

上空から斜めに見下ろしたように描かれた、都市鳥瞰図の第一人者である石原正さんの鳥瞰図に出会い、鳥瞰図絵師の道へ。日本でも数が少ない鳥瞰図絵師として、愛する神戸の町を中心に作品を多数発表。

 

 

制作中は苦行でしかないです。

──鳥瞰図とは地図の技法の一種で、飛ぶ鳥の目線から観たように見えることから鳥瞰図と言われるそうですが、どのように制作されるのでしょうか?

青山さん(以下、A): まずは描く範囲の地形図を買います。地形図は2500分の1の縮尺で描かれたものが各自治体さんから出されており、神戸なら三宮駅の近くのジュンク堂さんで委託販売されているので簡単に入手できます。値段も1枚350円ほどなので、高価なものではありません。地形図を手に入れたら、次は空撮写真を撮ります。神戸ならヘリコプターをチャーターして上からデジカメで写真撮ります。

──ヘリコプターはご自身でチャーターされるんですか?

A: 案外簡単に乗れますよ。神戸空港にヘリコプターをチャーターできる会社があるので、メール1本で予約できます。複数人で乗ろうと思ったらチャーター料金も上がりますが、僕はいつもパイロット含めて二人乗りのヘリを予約するのでタクシー感覚で乗れます(笑)

──え、そうなんですか⁉ もっとハードルが高いと思っていました。

A: 6分ごとに課金されていくんですが、燃料費も上がっているので…今なら6分で7000円代ぐらいだと思います。

──確かに思っていたより全然安いですね…‼

A: ヘリコプターで空撮写真を撮ったあとは、描く範囲の地上を全部歩いて下から写真を撮っていきます。

──大体、何枚ぐらい写真を撮られるんでしょうか?

A: 描く範囲によるんですが、いま制作している函館の鳥瞰図はざっくり2キロ四方ぐらいの範囲なので、地上で18000枚、空撮は700枚ぐらい撮りましたね。

──下準備だけでかなりの労力がかかりますね…。

A: 斜めから見た空撮写真は自分で撮る、地上からも撮る、そして真上から見た真俯瞰空撮画像はGoogleに頼っています。この3つが揃えば、やっと描くことができます。まず、地形図の上にトレーシングペーパーをのせて建物の輪郭を一つひとつトレースしていきます。あとは撮影した写真を見ながら、10階建てのビルは10階建てにし、窓の数や屋上の空調機に至るまで描き込んでいきます。ちなみに高さは全てのビルのオーナーさんに聞いて描くことは難しいので、オフィスビルだったら大体ワンフロア何mとか、一戸建て住宅なら、ホテルなら…と、自分の中で決めている数字があるので、それに基づいて描いています。描き終わったらスキャンしてPCに取り込み、つなぎ合わせて色を塗っていきます。

──とても時間がかかる作業だと思うのですが、制作期間はどの程度かかるのでしょうか?

A: これも描く範囲によりますが、函館は異常に時間がかかってしまいまして、今年の11月で制作スタートから丸6年経ちますね。おそらくこの作品だけに集中して、詰めてやれば2年ぐらいで完成するとは思うんですけど…。


──6年ですか…! 作品を仕上げるまでにかなりの手間と年月がかかりますが、鳥瞰図を描く楽しさはどこにありますか?

A: 制作中は苦行でしかないです。でもある程度ブロックごとに町ができあがってくると、しめしめと、ちょっとした喜びは感じます。フルマラソンを走った経験はありませんが、完成したときはフルマラソンを走り終えたような達成感はあります。だから日々の楽しさといえば、ちょっとずつ街並みが揃っていくと嬉しい、という小さい幸せですね。あとは本当に苦しいだけです(笑)

──苦行ですか(笑) では、制作期間中はどうやってリフレッシュされているんですか?

A: ビールですね(笑) ちょっと抑えないといけないんですけど…飲まないと日々が耐えられないので(笑)

 

この人が亡くなった時点で、この形式の鳥瞰図は廃れてしまう

──青山さんが鳥瞰図に出会ったのはいつだったのでしょうか?

A: 高校三年のときです。私は工業高校のインテリア学科出身で、授業では家具を作ったりしていました。校内には授業で制作した家具をガラクタ置き場みたいな倉庫に保管していて、その倉庫に3つ、4つぐらい上の先輩方が作った、神戸三宮の鳥瞰図があったんです。それを見て衝撃を受けて、先生に「あれは何なんですか⁉」と聞いたら、あれは鳥瞰図絵師の方の作品を拡大して模写したものだと教えてもらったのが、鳥瞰図との最初の出会いです。

──そのベースとなった鳥瞰図が、都市鳥瞰図絵師の第一人者である石原正さんが描かれたものだったということでしょうか?

A: はい、僕が憧れる石原正さんが1981年に出版した『神戸絵図』でした。神戸でポートピア博覧会がやっていたときに作られた神戸の鳥瞰図ですね。

──そこから自分でも描いてみたいと思われたのはきっかけがあったのでしょうか?

A: そのときは、あくまでもいちファンでした。僕は高校卒業後に就職したんですが、町中の本屋さんで石原さんの本が売っていると、ちょっとずつ買い集めていたんですね。当時は大人買いする余裕はなかったので。そういう時間を経ていく過程で、石原さんのサイン会に参加したりしていたんですが、一瞬だけ弟子入りしようかなっていうタイミングがあったんですよ。結局ダメになったんですけど、そのときにいろいろお話を聞かせてもらいました。それが2001年の夏のことで、それからは僕も仕事に忙殺される日々を送っていたんですが、久しぶりに石原さんのことをネットで検索したら、2005年に亡くなったことを知りました。亡くなってから半年後ぐらい経ってしまっていたのですが、そのときに「石原さんが亡くなったということはもう鳥瞰図を描く人がいない」ということが明白だったので、「これは辛いな…」と思い、じゃあ僕がやってみようと思ったのがきっかけですね。

──当時、鳥瞰図絵師は石原さんしかいなかったということでしょうか?

A: 片手で数えられるぐらいかとは思うんですが、鳥瞰図を描く方は他にも全国に何人かはいます。でも僕が憧れる遠近感のない、建物の数とかビルの高さまで合わせた地図代わりにも使える鳥瞰図を描く方は石原さんしかいなかったんです。だからこの人が亡くなった時点で、この形式の鳥瞰図は廃れてしまうんだと思い、それがあまりにも辛くて…という感じですね。

──弟子入りできなかったのは、石原さんが弟子を取らないスタンスだったのでしょうか?

A: いえ、僕は期待されていたんですけど…。試験があったんです。2001年当時、石原さんは大阪の四天王寺夕陽丘という地区の鳥瞰図を制作されていたこともあり、僕は試験課題として夕陽丘地区を真上から見下ろした真俯瞰空撮画像と、石原さん自身が撮られた空撮写真帳を2冊ぐらい渡されて、トレーシングペーパーを真俯瞰空撮画像の上に置いて建物の形とか全てトレースしてこいという課題を出されたんですよ。でも、よく分からなくて全然できなかったんです。2週間ぐらいして課題を持っていったら、「なんやねんこれ。分からんかったら見に行かれへん距離ちゃうやろ」と言われまして。「なんで分からんもんを分からんまま放っておくんねん。これじゃあ君がどこまで描けるんか分からん」と呆れられ、はっきりと「向いてない」とも言われました。実を言うと、僕はその頃に失業していて、どうしても早く就職したくて、いろんな会社の面接を受けていたんです。ちょうど試験解答を持っていく頃には内定が決まった頃で忙しく…。今思うと、25、26歳ぐらいの自分ではこの世界に飛び込むことは無理だったと思うんですけどね。そしてそれから、しばらく連絡を取っていなかった間に、石原さんが亡くなってしまいまして…。

──なるほど。そこから石原さんの死をきっかけに、青山さんの覚悟が決まったんですね。石原さんから青山さんに受け継がれたように、青山さんにはお弟子さんなど後継者の方がいらっしゃるんですか?

A: いえ、いません。時代が時代ですからね…。これだけデジタル全盛期ですから、やりたい人はいないんじゃないですか? いばらの道しか待っていないんで、僕も人には勧められないし(笑) 僕も始めてからやっと大変さが分かったんですよ。石原さんに向いてないって言われたのも、今なら分かりますね。よっぽどの覚悟がないと無理です。

──昔は記録やデータとして必要だったものが、今は芸術的な位置づけになってきて、私たちの捉え方も変わりましたもんね。

A: 街の記録として、鳥瞰図は本当に良いものなんですけどね。街って絶対に変わっていきますから。鳥瞰図は30年、50年後に見返したときにどんな街だったのかが一目瞭然ですし、書き残すって大事だと思っています。

 

「この町はなんでもできるんだ」

──青山さんの作品は地元・神戸を舞台にした作品が多いですが、青山さんが神戸に愛着を持つ理由は何ですか?

A: 神戸を好きになったのは子ども時代に遡ります。僕は小さいころ、「この町はなんでもできるんだ」と目をキラキラと輝かせていたんです。というのも、僕が小学4年生の1985年はユニバーシアード神戸大会という大学生のオリンピックが開催され、新しく総合運動場ができたり、地下鉄が伸びたり、ニュータウンができて人口が増え、今の神戸がどんどん形作られていった時代でした。その開発過程を見て、めちゃくちゃかっこいいと思っていたんです。ただ、1995年の阪神淡路大震災で住んでいた家が全壊し、周りも焼野原になってしまった経験から、街の開発に対してはちょっと複雑な気持ちもあるんですが、変わりゆく神戸の姿をずっと見てきているので、それが愛着のひとつの理由ですかね。だから長いですよ、僕の神戸愛歴は(笑)

──神戸の中でも、青山さんの作品は「港町」という部分をクローズアップされていますよね?

A: 港町が好きなんです。横浜って行かれたことありますか? 横浜と神戸って年代はちょっと違いますけど、スタート段階では同じで、双子の兄弟みたいな関係です。でも150年経って、同じような要素はありつつも、ちょっとずつニュアンスが異なります。でも、横浜に行くと「ここは神戸でいうアレやな」「このビルはあのビルやな」って似てるところがあるんですよね。この長い年月で味付けがちょっと違う感覚が、見ていてめちゃくちゃ面白いです。船の入出港や人やモノが入ってきて出ていくという、交通の結節点が見られるのも好きです。

──では、神戸の中で青山さんの一番のお気に入りスポットはどこですか?

A: 旧居留地です。あの辺りは、建物は建て替わってしまっていますが、いまだにレンガ造りの下水道が一部残っていたり、開港したときのままの道路や町割りが残っていて面白いですね。街並みもカッコいいし、いるだけで「俺もかっこよくなれるんちゃう?」っていう高揚感を得られます(笑) だから、初めて描いた鳥瞰図は旧居留地なんですよ。

──では今後、描いてみたい地域はありますか?

A: んー…正直、いま制作している函館を完成させたいという気持ちしかなくて、絶対に描きたいと思う場所はないと言えばないんですよ。函館は心の師匠である石原さんの故郷なので、函館を描くことは自分にとってあまりにも大きなことだったんです。石原さんは描けずに亡くなってしまったので、僕が絶対に描き上げるんだという想いでやっていたので、函館さえ描ければ…という気持ちです。ただ、強いて言うなら…同じ港町である長崎ですかね。絶対絵になりますし。でも、道も狭く坂も多いので描くのは絶対大変です。よっぽどの覚悟がないと火傷しそうで、あんまり簡単に描きたいとは言えないですね(笑)

──いつか長崎の鳥瞰図も拝見できたらと思います(笑)

 

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
A: ポートタワーです! 鉄塔の美女とも言われているだけあってシュッとしてますね!
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
A: 小鳥のインコです。…「生き物いれるんかい!」と勘違いされたら嫌なんですけど、僕はインコがめちゃくちゃ好きで、中学時代からヤマブキボタンインコという種類のインコを代々飼い続けているんです(笑) もはや自分のアイデンティティでもあるのでカシャって開けたら「ピッ!」って出てきてくれたら「おっ、元気かあ~(よしよし)」って感じで嬉しいですよね(笑)

 

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青山大介


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1976年、神戸市長田区出身。高校時代に石原正さんの鳥瞰図に出会い、独学で鳥瞰図を志す。地元神戸を中心に大阪梅田、渋谷などの都市鳥瞰図を描き、現在は函館の鳥瞰図を制作中。好きな漫画は『ゴールデンカムイ』(集英社刊)。

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2023/2/1