
関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!
第四十六回は、
京仏師の宮本我休さんにお話をうかがいました! ファッションの世界から仏師の道に進まれた経緯や、仏師の仕事について語っていただいたインタビューです。

「宮本我休」さんって?
学生時代に服飾を学び、卒業後に京都の仏像彫刻工房にて仏像の彩色を手掛けたことをきっかけに仏像彫刻の世界に入る。9年間の修行の後、2015年4月に独立。京都・西山に工房を構え「宮本工藝」を設立し、日々仏像・仏具、その他木彫刻全般の研究、制作に励んでいる。

今までのモノづくりの時間軸が完全に壊されました
──Twitterで娘さんの色鉛筆にお地蔵さんの顔を彫り込んだツイートがものすごい反響でしたね。
娘が保育園で使う色鉛筆。
— 京仏師 宮本我休 (@Gakyu_Miyamoto) April 2, 2022
名前を入れるところ削っておいてといわれるとイタズラ心がムズムズと…。
ひっくり返すとお地蔵さん🤭
彫刻家を父に持つとこうなるんだよ😌 pic.twitter.com/cU6PxbOyR0
宮本さん(以下、M):そうですね。こんなに反響があるとは思っていなかったので驚きました(笑)
──このツイートをきっかけに宮本さんのことを知った方も多いと思うのですが、もともとはファッションを学ばれていたんですよね?
M:はい。中学時代から服が好きだったので、高校を卒業してからは服飾技術を学ぶために京都の短大へ2年通いました。そこで学ぶうちに、オートクチュールというドレスを仕立てる専門の職人に憧れまして、もっと専門的に勉強したいと思い、東京に上京してさらに3年間学校に通いました。なので、合計5年ほどファッションの勉強をしましたね。
──そこからどうして仏師になられたのか想像がつかないのですが、そのままファッション業界で生きていこうとは思わなかったのでしょうか?
M:東京での在学中からだんだんと、服を作ることに対してあまり面白味を感じなくなってしまい、どちらかと言うと、服を作る前のスタイル画を描いている方が面白くなってきてしまって…。その頃は学生でありながら、ファッションイラストレーターとしてちょっと仕事をもらうようになっていたので、そのまま東京に残ろうと思ってはいたんですが、結局、東京の暮らしが馴染めなかったんですよね…。友達も多かったし、ファッション業界のプロの方たちにも可愛がってもらっていたので、交友関係はあったんですけど、土地が合わないというか…。
──ご出身は京都ですよね?
M:僕は生まれが京都の伏見で根っからの京都人なんですけど、京都って三方山に囲まれていますよね。そんな土地で育った人間が関東平野に放り出されてしまうと、いきなり檻の外に出された子犬みたいな気持ちになり、落ち着かないんですよ(笑) それに、東京ってみんな背伸びをしているような感じがして居心地が悪くて。それで、やっぱり故郷の京都に帰りたいと思い、卒業してからこっちに戻ってきました。
──私も京都在住なんですが、確かに盆地の安心感ってある気がします(笑)
M:京都人は山との距離感で自分の現在地を測りますからね(笑)
──京都に戻ってきてからはどうされていたんですか?
M:清水寺の観光所でバイトしながら、半年ぐらいはずっと服のスタイル画ではなく点描画みたいな細かい画を描いていました。でも「いつか世の中に認められるやろ」って思っていたのに、公募展に出しては落ちてを繰り返していたので、なんの反響もない日々に悶々としていました。そんな時、兄から声がかかったんです。「同級生が仏像を作る工房をやっているんだけど、観音様の像に柄をつける仕事をできる人を探している」と。それで、絵筆を持っていた自分が試しに行ってみると、ものすごく衝撃を受けたんですよ。
──衝撃?
M:僕はファッションをずっと学んできましたが、ファッション業界は流行が目まぐるしく変わるので、自分が生み出したデザインは次の年ぐらいには淘汰されているものなんです。そういうサイクルだからこそのやりがいや奥深さは確かにあるんですけど、僕はそのサイクルの早さに疑問を感じる部分がありました。でも仏像作りの世界を覗いてみると、師匠たちは1000年後のことを考えてモノづくりをされていて…。今までのモノづくりの時間軸が完全に壊されましたし、自分が作ったものが現世ではなくさらに先で評価されるために、惜しみなく情熱を注いで作品を作っているということが、とても清々しく感じました。それで、ぜひ弟子にしてくださいと頼んで約9年間修業をしました。

位牌の彫刻からスタート
──仏師の修行はどのようなことから学ぶのでしょうか?
M:僕はみなさんと一緒で学校の版画授業ぐらいでしかやったことがありませんでした。なので、当然すぐに仏像を作らせてはもらえず、まずは位牌の彫刻から入りました。位牌っていうのは立体造形ではなくて、文様彫りがメインなので彫刻刀の基礎が詰まっているんですよ。
──仏師の方はみなさん位牌から修行を始められるんですか?
M:そういう訳ではありません。僕が入った工房がちょっと特殊だったんです。ご兄弟でやられている工房だったんですが、弟さんが京位牌師という位牌を専門に作る方で、お兄さんが仏像を作ったり直したりする京仏師さんでした。そういった環境だったので位牌の彫刻からスタートしたんです。対面に座る師匠から粗削りしたものを受け取って、それを綺麗にして師匠に返すと「こうじゃない」「ああじゃない」と修正されてまた戻ってくる。そういうやり取りを最初はずっと続けていました。でも、仏像にまったく触れないかというとそういう訳でもなくて、当時は仏像修復の仕事が多かったので、古い仏像を預かっては塗装をはがしていく作業をしていました。彫刻刀は全然使いませんが、そこで仏像の形を覚えていきましたね。
──宮本さんのように彫刻の経験がないまま弟子入りされる方は多いのでしょうか?
M:今となっては珍しいですね。京都には「京都伝統工芸大学校」という学校があって、そこに仏像彫刻科があります。僕の弟子たちはその学校を卒業していますし、全国から集まった人たちがそこで基礎を学んで、全国各地の工房へ旅立つパターンが多いですね。
──では、学校があることも含めて、仏師の数は京都が1番多いのでしょうか?
M:おそらくそうですね、歴史的な部分もありますし。工房自体は20軒前後ぐらいあると思います。多いところはお弟子さんを何十人も抱えてらっしゃる方もいますが、基本的には10人以下のところが多く、もちろん一人でやっている方もいます。
──各工房に流派はあるのでしょうか?
M:一応、あるにはあります。ただ、歴史を遡っていくと慶派とか院派とかいろいろ存在するんですが、それが脈々と続いてきた中で、系譜の証明ができなくなってしまっているのが現状だと思います。僕は鎌倉時代に活躍された快慶をずっと研究していて、彼の形状を受け継いでいるので「慶派」と言えるとは思うんですが、確証がないので、謳ってはいないです。今は自分が初代になって、自分の作品を世に出していく方の方が多いですし、仏師の場合は~派という流派が意味を持たなくなってきていますね。

やっと全てが動き出した気がした
──修行時代はどのような生活をされていたんでしょうか?
M:仕事は9時に始まって、19時で一旦終わります。そこからみんな残って24時ぐらいまでみんな作業していましたね。そして翌日また9時に来て仕事を始めるんですが、僕は24時から朝方4時ぐらいまで寝て、そこからみんなが来るまでの5時間ぐらい、ずっと自分の作品を作っていました。
──そ、そんなに!
M:ひたすら彫り続けていたので、気がついたら毎日の睡眠時間は3~4時間ぐらいでしたね。1年休みがないこともありましたし、大晦日はいつも近所の清水寺から聞こえる除夜の鐘を聞きながら彫っていました。でも、すごく楽しかったんですよね。
──何がそこまで宮本さんを突き動かしていたんでしょうか?
M:この仕事に出会って歯車が合ったというか、やっと全てが動き出した気がしたんですよね。仏像を彫り始めて最初の展覧会に出させてもらったときに、周りから「これ作ったん誰や!」と言われ、師匠が1年目の僕を紹介すると、みんなが「1年目⁉ これはすごい!」と褒めてくださったんです。それまでは何者かになりたい、でも認められないっていうジレンマを抱えていましたが、そこでようやく自分の作品が世の中に認められた気がしました。やればやるだけ周りが驚いてくれるのが気持ち良かったですし、何より普段あまり褒めない師匠に褒められると嬉しくて、嬉しくて…。それで、どんどんのめり込んでいったんだと思います。
──その努力によって、今は独立されて活動されていますが、独立のきっかけはあったのでしょうか?
M:この業界は修行を始めてから10年目でこれからどうしていくか、という話になるんですが、僕は8年目の時に「あと2年で10年経つけどどう考えてる?」と師匠聞かれました。師匠からすると、その時点で僕にはもう完全に独立心があると感じていたんだと思いますけど(笑)
──では、すぐに独立を決意されたんですか?
M:僕は師匠の一番弟子で、最初は迷いに迷って残りますと伝えていました。でも悩んだ結果、9年目の時に思い切って独立することにしました。
──師匠はなぜ宮本さんには独立心があると感じられていたんでしょうかね?
M:修行中、最後の3~4年は空いている時間にずっと自分の作品を作り続けていたんですが、知らないうちに僕の世界観が広がっていって、どんどん師匠の作風と遠ざかっていっていたので、師匠は「こいつは自分の作風で勝負していきたいんやな」って感じていたんだと思います(笑)

失敗したら失敗したところに合わせて彫り進むしかない
──仏像制作の工程を教えてください。
M:基本的には木の塊から彫り出していくんですが、彫っていくと下描きの絵は消えてしまうのでほとんど意味がありません。ただ、仏像を作る前はノミ入れ式といって、お寺で寄付者の方に一刀入れていただき、造仏に参加してもらう儀式があるんですよ。なので、そのために絵を描くことはあります。そしてノミ入れ式の後にようやうく彫り出して、形を作っていきます。
──どうやって形を調整していくんでしょうか?
M:マス目を描き、それをもとに手の位置や顔の大きさなどに狂いが出ないように測りながら進めていくんですが、彫刻は一刀彫ると消えてしまうので、マス目を描いては彫ってを繰り返しながらの作業となります。僕は鎌倉時代の仏師・快慶を崇拝していますが、これはそういった歴代の仏師が受け継いできた賽割(さいわり)法という伝統技法なんです。
──なるほど。彫刻刀は何本ぐらい使用されているんですか?
M:彫刻刀は300本ぐらい持っています。叩きノミだけでも100本ぐらいですね。
──えっ! そんなに持っていらっしゃるんですか⁉
M:でも300本を毎回使い分けていると時間がかかってしまうので、レギュラーメンバーはだいたい20~30本です。でもここぞという時に「この刀でないと…!」っていう瞬間があるので、やっぱりこのくらい本数は必要になってきます。極論を言うと、彫刻って小刀1本だけでも仏像を彫ることができるんですよね。脱走系の映画で、囚人が支給されるスプーンで穴を彫って脱走するような作品がありますが、あれと一緒で時間をかければ彫れなくはないんです。ただ、一つの作品に10年の歳月をかけてしまうと仕事として食べていけないので、いろんな彫刻刀を増やして、スピードアップを図りつつ、同時にクオリティも上げていくためには、どうしてもどんどん彫刻刀の本数が増えていくんですよね。
──なるほど。サイズによって違いはあると思いますが、制作期間はどの程度かかるものなのでしょうか?
M:最低でも1年半ぐらいはいただいています。これは僕のやり方ですが、僕は同時並行で20体ぐらい制作しています。それは、なるべく一つの仏像に一途になりすぎないように意識しているからなんですが、仏像って自分の鏡みたいなところがあって、作るときの心情や肉体的な状態がそのまま出てしまうんですよ。僕も人間なので、穏やかな時もあれば、気が高ぶっているときもありまして、気が高ぶっているときにお不動さんとか強面の仏さん彫るとすごく迫力が出たりします。なので、その日の体調や精神状態に合わせて、彫る仏像を決めています。
──役作りのような部分が必要だったりするんですね。
M:もう一つ、俯瞰的に見る時間が必要だということもあります。一途にやりすぎると、人間の目ってどんどん錯覚を起こすので、形がいびつになっていったりしますし、たまに時間を置いて俯瞰的に見る時間を作ることが大切なんです。この作品、木の色に違いがあるのが分かりますか? 飴色になっているところと白い部分があるんですが、飴色の部分は古く、この白い部分は変色したあとに掘り出した部分なんです。

──彫刻は修正が難しいと思うのですが…失敗することってあるんですか?
M:彫刻は付け足せないんで、失敗したら失敗したとこに合わせて彫り進むしかないんですよ。ただ、失敗したっていうのはチャンスです。
──それはどういうことでしょうか?
M:これを説明するには、「彫刻とはなんぞや」っていうところを話さないといけないんですけど、僕は彫刻を「マイナスの造形」と表現していて、彫刻は要らないところを取り除いて、残ったところが作品になるんですよ。このマイナスの造形って日常生活ではほとんどなくて、おそらくみなさん経験がないと思います。
──確かにそうかもしれません。
M:だから彫刻において「失敗したな」という時は取り過ぎてしまったという時です。よく砂遊びで例えるんですが、砂に棒を立てて、その立てられた棒を倒さないように砂を取っていく遊びがありますよね。あれは砂をちょっとだけ取ってもいいんですが、「あと一歩で倒れるぞ」ってところまで攻めても良い。僕が崇拝する快慶はその砂一粒まで攻めている仏師さんで、彼の作る仏像にはギリギリの美があるんです。僕もそこまで攻めたいんですが失敗はしたくないので、なかなかそこまで攻められない。だから少し残したところで終わる。でも失敗してしまったときはむしろチャンスで、失敗したと思った作品を数か月後に見ると、それがどんどん良く見えてきて、「あ、もっとここ取れるな」とまだまだ取れる部分が浮かび上がってくるんです。そういう意味で失敗は成功の基だと感じています。
──なるほど…奥が深いですね!

誰もが縋れる尊像を作ってみたい
──今後、挑戦してみたいことはありますか?
M:仏像って儀軌(ぎぎ)と呼ばれる決まり事があるんです。体の幅とか手の位置とか全部決まっていて、その中でも作者の個性が出るところに仏像彫刻の面白さがあるんですけど、どうしても仏教の中での表現になるんですよね。いま世の中が紛争やウイルスで精神的に疲弊していると感じているので、宗派の垣根を超えた、誰もが縋れる尊像を作ってみたいと思っています。
──確かにこんな時代だからこそ、そういった尊像は必要かもしれませんね。
M:もう一つは、建築の分野に仏像制作の技術を持っていきたいと思っています。建築は数学的要素や造形美、歴史的背景など、いろんな要素が必要で、僕は建築こそ人の人智が作り出した最高の芸術だと思います。なので、そこに彫刻の技術を持っていきたいんですが、仏像彫刻って八角形に台座を作ったり、規模は小さいですが宮大工の技術が含まれているんです。なので仏像彫刻って実は汎用性の高い技術だと思うので、建築を通して世界中にその技術を世界に示していけたらと思っています!

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?
M:削ぎ落されたものというイメージなので、やっぱり快慶ですかね。ギリギリを攻めたひりひりするような美がシュッとしていると思います。
Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?
M:木くずですかね…(笑) 人によって理想の逝き方ってあると思うんですけど、僕は彫りまくって木くずに埋もれて「やり切った」と感じながら逝きたいんですよね(笑)

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