• お知らせ 2022.1.1

シュッとした噺【第三十九回】京都大学防災研究所 地震予知研究センター 教授 飯尾能久さん

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関西にいる「シュッとした」人たちから「シュッとした」お話を聞きたくて始めた、MAGKANインタビューコーナー!

新年あけましておめでとうございます!

第三十九回は、

京都大学防災研究所 地震予知研究センターの教授 飯尾能久さんにお話をうかがいました!どのような研究をされているのか、大阪北部地震はなぜ起こったのか、今わかっている研究結果について語っていただいたインタビューです。

どうして内陸地震が起きるのかを明らかにしないとダメだ

──普段は大阪府高槻市にある阿武山研究所にいらっしゃるそうですが、どんな研究をされているんですか?

飯尾(以下、I):内陸地震というものを研究しています。内陸地震とは、阪神淡路大震災とか、2016年に熊本県で起きたような内陸で起きる地震のことで、都市で起こる場合は直下型地震と言われます。それに対し、今世紀の中頃から終わりまでに起こると言われている南海トラフの巨大地震は海溝型地震と言われます。

──よく言う、プレートとプレートの歪みがたまって、地震が起こるっていうのは…。

I:それは海溝型地震の起き方ですね。海溝型地震は、大きな海底のプレートが陸のプレートに沈み込んで、どこかのタイミングで跳ね上がって地震が起きる、という基本的な起き方が大雑把にわかっています。

──どのように調べていらっしゃるんですか?

I:いろんな研究スタイルの人がいますが、私は主に、地震を観測し、データをとっています。実は、内陸地震ってなぜ起きるのかまだよくわかっておらず、少なくとも、阪神淡路大震災の頃は全くわかっていなかったんです。私は被災地の兵庫県明石市出身ということもあり、「これはいかん」と思い、どうして内陸地震が起こるのかを解き明かすべく、とにかく観測点を大規模にバラまいて、地震の観測をしています。

──観測されたデータを研究することで、地震が起きる兆候を特定できるようになるんでしょうか?

I:前兆現象を把握して、警報を出すということは究極の目標なんですけど…。

──違うんですね。

I:1960年くらいから阪神淡路大震災以前までは、地震の前兆を把握できるんじゃないかと、我々も研究していました。昔は日本海沖の近くで大きな地震が起きた時は、地震が起こるちょっと前に海の水が引いたとか、そういう現象がいろいろあったので、計器をちゃんとセットして調べれば、きっと前触れを捉えられるはずだと。でも、そういった前兆があった地震もあるんですけど、それはごく稀で。それで、研究の方向を変えたところで阪神淡路大震災が起こったんです。

──どういう方向に研究を変えられたんですか?

I:前兆の把握ではなく、どうして内陸地震が起きるのかを明らかにしないとダメだと。今は何もわからないけど、何かおかしなことがあるはずだから、データをとろうという方向に変わりました。もっと地道に、どうして地震が起こるのかをちゃんと調べて、それに基づいて地震を予測しようという、メカニズムの解明ですね。

──そのデータは、過去に起きた地震から検証していくのでしょうか?

I:そうですね。大きな地震が起こった時に、現地に観測点を置いてデータをとるのが一番効率的です。「余震」ってよく聞かれますよね? 大きな地震が起こると、ずれた断層の周りで小さい地震がいっぱい起こるんです。体に感じないものも含めて、何千個、何万個と。それが「余震」で、その余震観測データが、大きな地震を調べるためには必要なんです。細かな余震は波を出しますので、それを使って地下の様子を調べます。

──なるほど…。2011年の東日本大震災の頃と比べると、地震の研究は進んでいますか?

I:日進月歩だと思います。ただし、内陸地震のゴールはかなり先かな、という感じはありますね。

──難しいんですね…。

I:そうですね。発生の仕組みはなんとなくわかってきましたが、起きる場所が特定できないから難しくて。海溝型地震なら海のプレートと陸のプレートの境で起こりますが、内陸地震はどこでも起こりますし、断層がどこにあるかもあんまりよくわからないので。

──断層がある場所で地震は起こる、ということはわかっているんですか?

I:はい。今の知識では、あらかじめ地下のどこかに割れ目があって、そこに力が加わることで、断層がずれるんですけど、まだいろいろわからないことがあって。例えば、ガラスが割れるのとちょっと似ていて、ガラスって力が加わると必ず端まで割れてしまいますよね。途中で止まらない。車のフロントガラスもそうですよね。あれは危なくないように、細かく割れるようになっていますけど。地球の中も基本的には同じで、一旦力が加わって割れ始めたら、止まらずにどこまでいってしまってもいいはずなんです。でも、そうじゃなくて大抵小さく止まるんです。その原因がよくわからないんですよね。

──止まらなかったものが、大きな地震になるんですね。

I:ほとんどの地震は小さいうちに止まるのに、なぜ稀に大きいのが起こるのか。この差がわかっていないんです。断層自体、どこにあるのか今はわからないですしね。地震が起これば余震が起こるので、断層の位置を推定できるんですけど…。

「ウィーヘルト式地震計」地震観測史初期の地震計。

観測点を設置してから全部大きな地震が起こった

──「これさえわかれば、もっと研究を進められるのに!」と悔しい思いをたくさんされてきたんでしょうか。

I:そうですね。ただ、最近は大体どうやって研究を進めればいいかがわかってきまして、2006年くらいから「満点計画」という計画を進めてきたんです。

──「満点計画」?

I:とにかく地震の観測点をめちゃくちゃ増やす、という計画です。お医者さんに行けば、X線のCTスキャンで身体の断層写真を撮って、身体の中のことがわかりますよね。あれは機械の中にあらゆる方向にX線を飛ばす発信点と、それを受ける多数の受信点があるからわかるんです。それを地震に当てはめると、地震の震源に対して山のように観測点があれば、地中のことがよくわかるはずだ、ということになります。だから、「観測点を一万か所置こう! その基地をこの高槻の阿武山研究所にしよう!」という計画を始めました。観測点を増やして、精度を上げれば、どこでどんな風に力が加わっていて、どこで力がかかっていないかがわかるんじゃないかと推測しています。

──その進捗はいかがですか?

I:観測点は、まだ二千か所くらいで少ないですが、成果は上がってます。これが一万か所に設置できれば、わかることがぐんと増えます。あとはお金とマンパワーが必要です。

──観測点を設置するのはやはり大変なんですね。

I:設置が簡単になるように、我々で機材を新たに開発し、従来よりも軽くて小さく、設置しやすいものを作ったんですけど、やはり人様のところに勝手に置くわけにはいかないので、許可をいただいたり、場所を探したりと、目標設置数が多いので大変です。

──どういったポイントに置いているんですか?

I:今は地震の仕組みを調べるために良い場所に絞り、集中的にやっています。阿武山研究所のあるこのあたりと、島根県と鳥取県の米子にかけてと、1984年に長野県西部地震のあった御岳山の麓と、ニュージーランドです。

──その四か所が良い場所なんですね。どういう基準なんでしょうか?

I:過去に大きな地震が起きている場所です。やっぱり余震があるので。

──余震はそんなに長く続くんですか?

I:10年ぐらいは続きますね。100年くらい観測されることもあります。なので、本当は余震が多い地震発生直後の場所に設置したいんですが、昔地震が起きたところでも、ある程度観測点として使えるんです。

──地震発生直後のデータを取るためにも、いろんな場所に観測点が必要になるんですね。

I:それと、実は地震が起こる前のデータが非常に貴重なんです。起こった後のデータは比較的取りやすいので。だから、地震が起こりそうだと思って観測点を展開しているわけではないんですけど、いろんな場所に展開しておくと、研究には非常に役立ちますね。この四か所は、起こると思っていなかったんですけど、観測点を設置してから大きな地震が起こったんです。

──では、地震が起こる前の貴重なデータがとれたんですね!

I:そうです、かなり貴重ですね。御岳山ですごいデータがとれて、その後は鳥取と島根、ニュージーランドでもとれました。普通ならあり得ないし、3回もあったからもうないだろうと言っていたんですけど、大阪でもあって…。もう本当に不思議で、ありえないです。

──ありえないというのは、どれくらいありえないことなんですか?

I:それぞれの場所で地震が起こるのは、数千年、数万年に1回と言われていたんです。それが、あっちもこっちもみんな起こったので、確率で言ったら天文学的に低いんじゃないでしょうか。例えば大阪北部地震の震源近くにあった有馬-高槻断層とか、六甲-淡路断層という頻度が高いところでも千年、二千年に1回なんですね。大阪平野にある上町断層は一万年に1回ですから、ほとんど起こらない。南海トラフの地震は100年、200年に1回と言われていますけど。今まではよくバカにされてました。「あんたたちが観測網展開したら、急に地震がなくなるな~(笑)」「人智を超えるな」「考えが足らん」とかね。そんな感じだったので、不思議ですよね。

──本当にありえないことですね…。

I:「満点計画」を始めて10年目ぐらいの頃でしたから、 100年に1回でも、確率は10分の1ですからね。振り返ってみれば、「3.11」前の10年は地震が多かったんですよ。能登半島とか、新潟とか、福岡県とか。あれはやっぱり「3.11」に関連して起こっていて、あの10年はおかしかった。

──じゃあ研究の歴史的に、ここ最近はありえないことだらけなんですね。

I:私が研究を始めた頃は、大きな地震はそんなに起こっていなかったですからね。阪神淡路大震災の前の30年、40年は少ないですよね。南海トラフの地震が近づいてくると、やっぱり増えるので。

有馬-高槻断層が抑えてくれる安心材料になっている

──2018年にあった大阪北部地震の原因は何だったのでしょうか?

I:地震が起きた当初一番話題になっていたのは、どの活断層と関係していたのかわからない、ということでした。震源は有馬-高槻断層という大きな断層のあたりだったんですが、大阪城の崖のところにある上町断層という断層が関係しているかもしれない、という説もありました。ただ、どうも関係がなさそうで、どんな地震かよくわからない、というのが当時の状況だったんです。

──当時から何か新しくわかったことはありますか?

I:少しだけわかってきたことがあります。有馬-高槻断層は北摂の山から大阪平野と六甲山地の境目に延びていて、地表での位置もだいたいわかっているんですが、地下が深くてどこまであるのかがわからなくて。それが、大阪北部の余震のデータから、どうも大阪北部にある断層の北端までありそうだということがわかってきたんです。それともうひとつ、その北から南側に断層破砕帯っていうところがありそうで、その中で起きた地震のようである、ということがわかってきました。断層破砕帯っていうのは、小説や映画の『黒部の太陽』に登場する、黒部トンネルを掘った時に突っ込んでしまった断層と同じで、岩盤の中で岩がぐちゃぐちゃに割れて、地下水をいっぱい溜め込んだ、軟弱な地層なんですけど。

──大阪北部地震によって、有馬-高槻断層の形がわかり、さらにその断層が原因ではなかった、ということがわかってきているんですね。

I:そうですね。ちょっと不思議な断層で。

──断層の下に断層破砕帯があるようなところが他にもあるんでしょうか?

I:いえ、こんなの見たことなくて。何でこんなものがないとダメなのかとか、他の場所にはないのかとか、一切わかってないので、大阪北部地震のような地震が有馬-高槻断層の付近でドカドカッと起こってもおかしくないのかもしれません。でも、先ほどガラスの話をしましたけど、割れだしたら普通は止まらないのに、大阪北部地震も何故か止まっているんですね。大体、そうなると滑った断層の端にしわ寄せがいって力が溜まって大変になるんです。でも、今回はこの滑ったところに有馬-高槻断層があるので、それを超えて北にはいかない、有馬-高槻断層が抑えてくれる安心材料になっていることがわかったんです。

──へえ…!

I:断層の深いところが滑った場合、続いて浅いところが滑るはずなんです。水中って、深いところほど水圧が高いですよね。地面の中も同じで、浅いところは深いところより圧力がかかっていないから、ずれやすい。なので、それでいくと大阪北部地震も浅いところまで滑っても不思議はないんですけど、滑らなかった。何で滑らないのかは全然わからないんですけど、有馬-高槻断層との関係を見ると、やっぱり滑らないものだったんだな、とは考えられますね。

──地震が起きても、ガラスのように割れ続けていかない、というのは本当に不思議ですね。

I:実に大きな謎です。99%くらいはどうもないんですね。だから、昔は気象庁も大きな地震が起こっても「しばらく気を付けてください」とは言わなかった。でも、熊本の地震から言うようになったんですね。たとえ稀でも、やっぱり続けて大きな地震が起きるとしたら、約1週間以内が多いので。そのくらいの期間であれば、気を付けるといっても、短期間で済みますから。空振りでもメリットがあるだろう、と。

何にもわからなかった場所へ、無謀にも突っ込んでいったのが良かったのかも

──大阪北部地震の直後は、すぐに余震のデータの観測を開始されたんですか?

I:地震が起きた直後、本当はすぐにでも観測点を展開したかったんですけど、地震の影響で大渋滞が発生しまして…。なので、観測グループの人員配置や観測の段取りを夕方までして、夜の11時頃から、九州から来た方と2人で観測点の設置を始めました。場所は私の家と、義理の母の家と(笑)

──観測点って家でもいいんですね!

I:もうしょうがないですね(笑) 地震が都会で起こりましたから、選択の余地がなくて。山の中で起これば、静かな場所で岩盤が出ているところに置くんですけど、高槻の街中でしたし、場所よりもとにかく早く設置することが目的だったので。その日は四か所に設置して、次の日から毎日20~30ずつ設置しました。今もまだ、臨時に置いた観測点が百か所くらいあります。

──常にデータをチェックされているんですか?

I:今回はリアルタイムでデータを見られないんです。通信できるように設定していないので、現地でSDカードなどに記録し、半年や1年に1回のペースで確認しています。本当は毎日リアルタイムで見たいんですけど、通信手段を確保しようとなると、電気が必要なんですよね。観測点をたくさん置こうとすると、完全に山の中に置かないとダメな時もあるんですが、山ではコンセントがとれないので、電池で動かすようにしているんです。バッテリーだと重くなってしまいますし。開発する時に、なるべくスリムにして、山の中でも観測できることを優先した結果、観測計器を作るのに何年もかかかりました。

──鳥取にも観測点を置かれているとのことでしたが、2021年に何回か揺れていますよね。断層が多いということなんでしょうか?

I:それがね、わからないんですよ。あそこは活断層がほとんどなくて。でも、1927年に北丹後地震、1943年には鳥取地震など、大きな地震が過去に何度もありまして。「どうしてあそこで?」という疑問から、鳥取に観測点を置くことにしたんです。

──内陸地震って難しいですね…。

I:ただ、理由がなんとなくわかってきてきました。我々の基本的な地震のモデルでは、地震の時に動く断層の下に、局所的に柔らかいところがあると考えています。プレートが押されて、局所的に柔らかい部分が先に歪むと、その歪んだところの周りにしわ寄せがいくことにより、地震が起こる。山陰の鳥取や島根は、その柔らかいのが海岸べりにずっと続いているようなんです。そして、その柔らかい部分は岡山県とかにはなさそうなんですよ。

──確かに、岡山ではあまり地震が起きませんよね。

I:鳥取や島根と同じように、活断層があんまりないんですけど、その柔らかいところがない。そこの違いに地震発生の要因があるのかもしれない、というのが見えてきています。

──すごい…そうやって研究が進んできているんですね。

I:何にもわからなかった場所へ、無謀にも突っ込んでいったのが良かったのかもしれません。

KVS—300型「満点計画地震計」京都大学防災研究所が中心となって株式会社近計システム等と平成20年(2008年)に共同開発した。同じ性能の機器として世界最小・最軽量の地震計。

地道に集めて分析を続けるしかない

──地震の研究を始めたきっかけは何だったんでしょうか?

I:高校の地学の授業ですね。私は来年で定年なんですが、世間でプレートテクトニクスの話が受け入れられた時期が、私が高校生の時だったんです。プレートテクトニクスっていうのは、地球の表面は何枚かの固い岩盤、プレートでできていて、このプレートが動いて大陸移動が起きているという説です。教科書にはまだ載っていませんでしたが、地学Ⅰの先生がOHP(オーバーヘッドプロジェクタ:透明なシートにマジックで文字や図を描いて、プロジェクターでその絵をスクリーンに映し出すもの)というものを使って、教えてくれたんです。透明なシートを2枚重ねて、アフリカと南アメリカの海外線の形が一致してる、こうすると重なりますねと。その授業に、「あぁ面白いなぁ」と思って。

──そこから研究者になるまでは紆余曲折あったんですか?

I:いえ…何でなんですかね、なんかこう、科学者に憧れていたので。昔は学者って割と良いイメージでしたよね(笑)

──今もいいイメージですよ!?

I:今はあんまり…(笑) 何となく科学者になりたいなって思っていたんですが、その頃の地学って固体と流体にわかれていて、流体は気象や海洋のほうなんですけど、固体は地震がメインだったので地震を調べていくことにしました。

──地震研究のどういうところに引き付けられますか?

I:内陸地震は特にわからないものが多いんですよね。未知なので。だから、何かをやって出た結果は、みんな新しい発見になるんです。いろんな方がおられるんでしょうけど、私はその新しく出てきたことを考えていくのが好きですね。研究を始めた頃は、このデータは新しいことなんだろうけどそれにどういう意味があるのか、わかるところまでなかなか行けなかったんです。たぶんデータが足らなかったんだと思うんですけど。今はもう、何十点、何百点と出てきていまして、このデータにどういう意味があって、どういう仕組みと関係しているかは割とよくわかるようになりましたね。

──それはやはり、「満点計画」の成果ですか?

I:そうですね、やはり「満点計画」をやり始めてからですね。例えば昔の名医さんだったら、身体をトントンと触診することで異変がわかる方もいたんでしょうけど、それも限界がありますよね。近年はCTスキャンが登場して、誰でも身体の中のことがわかるようになった。それと同じようなことで、我々もちょっとCTスキャンに近づいて、わかるようになってきたんだと思います。ただ、データがあってもわからないことはまだまだありますから、地道に集めて分析を続けるしかないですね。

──どういう想いで研究を続けておられるんでしょうか。

I:なんとか地震現象を解明し、予測に役立てたいと思っています。昔から我々は地震予知計画っていうのをやっていたのに、阪神淡路大震災が起きた時、何の役にも立ちませんでした。「これは何とかせなあかんな」と、特に強く思いましたね。予算も人員も、たぶん他の分野に比べたら特別扱いでしたから。今は…相対的には、昔ほどは良くなくなったかもわかりませんけど。昔は本当に地震予知だけにお金をつぎ込もうみたいな、そんな感じだったので。それでもやっぱり…予算が欲しいですけど(笑)

──研究結果を待って、受け取るしかない私たちに対して、こういう心構えを持っていてほしい、ということはありますか?

I:それは地震への備えではなくて、研究に関してですか? そんな風に質問をもらうだけでありがたいですけど…。そうですね、いろんなことに興味を持ってくださるとありがたいですね。

──いろんなこと?

I:出前授業によく呼んでいただくんですけど、あまり質問が出ないんです。たぶん私が話したことにわからないことがいっぱいあるんでしょうけど、積極的にわからないって言わないんですよね。わからないことが許されないような雰囲気があるんじゃないかと思ってしまうくらい静かで。だから、積極的にいろんなことを探す、興味をもって調べる、わからないことはわかる人に聞く、そういうことをやっていただけるといいかなと思います。特に、若い人たちに。

Q.「シュッとしてるもの」って何だと思いますか?

I:今だったら、コロナのシュッって…。アルコール除菌、ですね。それが真っ先に浮かびました(笑)

Q.自分の名前で缶詰を出すとしたら、中に何を詰めますか?

I:私、マンゴーが好きなんです。昔、フィリピンで地震があった時に地震の観測に行きまして。フィリピンってマンゴーが安いんですよね。それで毎日マンゴーを食べてて。でも日本だと高いし、安いマンゴーの缶詰があったらいいなと思います(笑)

飯尾能久

京都大学防災研究所HP阿武山地震観測所HP

兵庫県明石市出身。学生時代から地震の研究に取り組み、2007年に京都大学防災研究所 地震予知研究センターの教授となる。新しい観測システムの開発をするほか、地震災害の軽減と理解を深める活動も積極的に行っている。好きな漫画は『エリアの騎士』(講談社刊)。

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